マルコの写真を見てくれてありがとうございます。

マルコの写真を見てくれてありがとうございます。

投稿者:マルコ 投稿日時 2013/3/26 19:00
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マルコの撮影したまん日の舞台写真もさることながら、「まんが日本昔ばなしの声優「常田富士男」さんの現在のご様子」の写真を見てくれてありがとうございます。
一番「いいね」と言っていただいた、常田さんの写真・・・みなさんの目から見ても良かったということですよね・・・。褒めていただいて、なんだか嬉しいです。

マルコが実際にお会いした常田さんは、なんというか・・・昔ばなしの世界から来たというか、和製サンタクロースみたいな方でした。
それから、優しい笑顔がほんとに素敵でしたね。何も語らなくても、その笑顔をを見ているだけで癒されるような・・・。体全体から癒しの力が漂っている人でした。

私が常田さんとお会いした時、常田さんの傍らに居られた女性の方は間違いなく常田さんの奥さんですね!!理由は「辛そうに背もたれを抱えていた常田さんを心配そうに見ていたし、常田さんの声のかけ方からして・・・。」もあるのですが、「『講演会の時には、奥さんは必ず同行していて、常田さんは奥さんと一緒に講演会のセッテングやら後片付けやらを仲良くやっていて、見ていると夫婦のあり方について教えられる。』という話もあるぐらい、大変に夫婦仲むつまじい。」と聞いていたからです。
奥さんの方は常田さんのことを陰ながら頑張ってサポートしているんですね!!ご夫婦で仲睦まじいのはいいことだと思いますよ!!

それからこのことは、あまり知られていないかもしれませんが、常田さんは今までで一度だけ息子さんである倉崎青児さんとアニメの声優で共演したことがあるんです。
そのアニメというのが、まんが日本昔ばなしでもお馴染みの杉井ギサブローさんが監督を務め、プロデューサに田代敦巳さん、美術に馬郡美保子さん、編集に古川雅士さん
アニメーターにこはなわためおさん、小林治さんなどが制作に携わった「銀河鉄道の夜」なのです。
常田さんはこのアニメに登場する「灯台守」という不思議なキャラクターを演じ、エンディングで「春と修羅」を朗読するのです。
倉崎さんはちょっと小太りの牛乳屋のキャラクターを演じていました。

このアニメは、親子で共演という点でも常田さんと関わりが深い作品であるかもしれませんが、別役実さんがこのアニメの脚本をてがけている点でも関わり合いが深いのです。
常田さんと別役実さんがどんな関わり合いをしているのかというと、常田さんは別役実さんの著書が大変にお好きな上、別役実さんの「スパイ物語」という舞台で主人公のスパイを演じたのです。
常田さんは講演会の時、いつも別役さんの「なにもないねこ」や「猫貸し屋」好んで朗読していますし、ラジオでも別役さんの「虫づくし」を朗読したりと・・・とにかく別役さんがお好き!!

「スパイ物語」あらすじ
主人公は、落ちた(誰にも必要とされなくなって追放された)スパイ(常田富士男さん)で、彼は、メルヘンの街に住む、お嬢様に恋をして、結婚を申し込む。住民登録もなにもないので、最初は、お嬢様に断られるのだが、なんとか結婚できてしまう(笑)。だが、スパイは、ある男から買った地球を食べてしまったのが災いして、やがて自分も消えていく・・。こう書くと、訳がわからないと思うが、舞台では、これで話が通ってしまうから面白い。メルヘンの舞台とは、得てして、そういうものなので、だからこそ舞台空間がステキなのだ。日常ではない、不条理に満ちた、非日常の世界の魅力がここにはある。主役の常田富士男さんは、舞台に出っ放しで、この人、実は、すごい役者さんだ。お嬢様役の剣持さんの歌も素晴らしく、いつまでも聴いていたいと思った。舞台装置など、星と、電柱と、洋風の長イスがあるだけで、あとはなにもない。それで、あれだけの世界をかもし出せるのは、役者のレベルが凄く高いからだ。語り継がれ、再演されていく芝居とは、やっぱりこういう完成された作品なのだろう。このミュージカルの基本構成は「不思議の国のアリス」と言ってもいいが、不思議の国に迷い込むのは、絶望して存在すら危うい、天涯孤独の男であって、そこに待ち受けるのがアリス・・すなわち、メルヘンの街に住む美しいお嬢様なのである。もちろん、このお嬢様もかなり普通ではない。だが、メルヘンの世界だからこそ、たとえようもない魅力となって、見る者を引き込んでしまうのだ。
常田富士男をはじめ、出演者はほぼ初演当時のまま。舞台には噂の電信柱とベンチ、それから郵便ポストが立っている。始まる前から、頭の中で時間が回り始める。六文銭の演奏に乗って始まり、始まり。どこかで聞いたような・・・。『風の又三郎』だ。二百十日にやってきて、二百二十日に居なくなる。 名曲『雨が空から降れば』は勿論だが、『ねこの歌』がすごく良かった。改めてしみじみと感じ入るものがあった。余計なことだが、地平線の方へ歩いて行く「ねこ」は2本足で立って歩いているのだろうか。登場することのない「ねこ」の姿が随分気になった。馬場のぼるの絵のようなほのぼのとした「ねこ」を想像した。「ねこ」も「お魚」も登場はしないけれど存在感がある。

「なにもないねこ」耳が一つしかない猫がおりました。その代わりその猫には目が三つありましたから誰にも笑われずにすみました。目の一つしかない猫もおりました。その代わりその猫にはしっぽが二本ついていました。鼻の穴が一つで口が二つある猫もおりましたし、おへそがなくて、足が五本ある猫もおりました。そしてそこに何もない猫もおりました。何もない猫には、目も耳も鼻も口も頭も胴体も足もしっぽも何もないうえに、その代わりに何もなかったので、だれもそこにそんな猫がいるなんて知りませんでした。(続く)
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