No.0567
かみなりさまのびょうき
雷様の病気
高ヒット
放送回:0355-A  放送日:1982年08月21日(昭和57年08月21日)
演出:こはなわためお  文芸:沖島勲  美術:西村邦子  作画:塚田洋子
写真あり / 栃木県 ) 28720hit
あらすじ

昔、下野の国の粕尾(かすお)に天下に名高い智玄和尚(ちげんおしょう)という医者がいた。

ある夏の日の昼下がり、和尚が弟子と歩いていると、にわかに空が掻き曇り、大粒の雨が降り出した。やがて近くに雷も落ちはじめ、和尚は大急ぎで寺へと帰った。

さて、寺に帰った和尚であったが、雨戸も閉めずになにやら雷鳴に耳を傾けている。「ほほぅ、この雷様は病気にかかっとるわい。」さすがはその名を天下に知られた名医、雷鳴を聞いただけで、雷様の体の具合まで分かってしまうのだ。

その晩、和尚が寝室で寝ていると、果たして昼間の雷様が和尚を訪ねてきた。雷様が言うには、和尚の見立ての通りここ数日具合が悪いのだそうだ。そこで名医と言われる和尚に、治療を頼みに来たのだった。

和尚は雷様を寝かせると、雷様のお尻とお腹にお灸をすえた。あまりのお灸の熱さに暴れまわる雷様だったが、お灸が終わってみれば体も軽くなり、病気もすっかり治っていた。喜んだ雷様だったが、何しろ天下に聞こえた名医、いったい治療代をいくら請求されることやら心配していた。すると和尚はこう言った。「金はいらん。その代りにお前にしてほしいことが二つある。」

一つは、今後ここ粕尾には雷を落とさないこと。もう一つは、大雨のたびに洪水を起こす粕尾川の流れを山側に移すこと。これを聞いた雷様は、お寺から家々に雷除けのお札を配れば、そこには雷を落とさないと言い、また川を移してほしい場所にサイカチの木を目印に植えるよう言い残して天に帰っていった。

そこで和尚は雷様に言われた通り、寺からお札を配り、村の人々を集めて山のふもとにサイカチの木を植えた。するとその日から七日七晩雨が降り続き、七日目に雨が上がると、何と元の粕尾川は干上がり、山側のサイカチの木の横に流れを変えていた。雷様は立派に和尚との約束を果たしたのだ。

それからというもの、粕尾の里は洪水に悩まされることもなく、落雷の被害も無くなったということだ。

(投稿者: やっさん 投稿日時 2012-5-19 10:30)


ナレーション常田富士男
出典栃木県
DVD情報DVD-BOX第12集(DVD第56巻)
現地・関連お話に関する現地関連情報はこちら
場所について常楽寺(瑠璃光山蓮照常楽寺)智玄和尚のまつられた寺
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地図:常楽寺(瑠璃光山蓮照常楽寺)智玄和尚のまつられた寺
追加情報
本の情報講談社デラックス版まんが日本昔ばなし第34巻(絵本発刊日:1985年07月15日)/講談社テレビ名作えほん第044巻(発刊日:1981年4月)
絵本の解説これは「録事法眼(ろくじほうげん)」として天下にその名を知られた、智元和尚(ちげんおしょう)にまつわるお話です。腕のいい医者でもある和尚さんのところに病気の雷さんが治療を受けにきました。和尚さんは丁寧に治療し、治療費のかわりに二つの頼みごとをしました。それは、村に雷を落とさない事、川の流れを変える事、という二つでした。土に生きる村人たちがもっとも恐れるのは、この洪水です。なにしろ一瞬にしてすべてが根こそぎ台無しになってしまうのですから。自然よ、いつもおだやかであれ、という人々の切なる願いが、この話にはにじみでています。(栃木地方のお話)(講談社のデラックス版絵本より)
講談社の300より書籍によると「栃木県のお話」
このお話の評価7.4000 7.40 (投票数 5) ⇒投票する
※掲載情報は 2012/5/19 10:30 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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ゲスト  投稿日時 2014/2/25 14:32
Information of the book

Kodansha Deluxe Edition comics Nihon Mukashi Banashi Vol. 34 (a picture book publication day:) July 15, 1985) / Kodansha TV masterpiece picture book Vol. 044 (a publication day:) April, 1981)

Commentary of the picture book

This is a story concerning the intellect former chief bonze of a temple (ちげんおしょう) that the name was known to as "the low-grade official in charge of banquet services second highest rank among Buddhist priests" (ろくじほうげん) in the world. I came so that thunder of illness was treated to the chief bonze of a temple who was a skilled doctor. Chief bonze of a temple was treated carefully and did every two requests in substitution for treatment costs. It was two called changing not casting thunder in the village, the flow of the river. It is this flood that villagers living in soil are afraid most. Anyway because all is spoiled completely instantly. Nature, eager wishes of people to be calm always come out in this talk. (story of Tochigi region) (than Deluxe Edition picture book of Kodansha)
マルコ  投稿日時 2014/2/25 14:23
God of the thunder became ill.

A broadcast time: 0355-A
airdate: August 21, 1982 (August 21, 1982)
Direction: Tameo Kohanawa
literary arts: Isao Okishima
art: Kuniko Nishimura
drawing: Yoko Tsukada

Narration Fujio Tokita
Source Tochigi
Collection of DVD information DVD-BOX twelfth (DVD Vol. 56)
About a place Jorakuji temple Kasuo district of Tochigi(瑠璃光山蓮照常楽寺)

Once upon a time .A doctor called "•Chigenn Nakano"In the place called Kasuo of Tochigi .

When a doctor walked with a pupil in the early afternoon of a certain summer day, large drop of rain has begun to fall.

The doctor returned to the temple in a great hurry.

The doctor had eturned to the temple.He was listeningto thunder.

He said “Oh, no! This thunder gets sick”.

Surprisingly, the doctor only heard thunder and understands it to the condition of the thunder-like body.

When a doctor slept in the evening, thunder visited a doctor.

The thunder said "you say, I am ill for these past several days .Therefore I want to ask for you treatment of the skilled physician. .”

The doctor cauterized thunder-like buttocks and stomach with moxa.

It was thunder to rush wildly in for heat of the excessive moxibustion, but if moxibustion was over, one's body lightened, and the disease was completely cured.

It was thunder pleased with, but worried how much a medical bill was demanded.

The doctor said "I do not need the money. On the other hand, there is that I want you to make you. “
There are my two wishes.

One do not cast thunder to here Kasuo in future.

The second move a flow of the Kasuo River having a flood at every heavy rain to the mountain side.

The thunder heard some wishes of the doctor "distribute the charm of magic words against lightning to houses from a temple, do not drop thunder there. And, please plant the tree of honey locust in the place wanting you to move the river. “So said the thunder like that and returned to the sky.

Therefore the doctor distributed the charm of magic words against lightning from a temple and put the tree of honey locust with the person of the village.

Then it continued to rain in seven evening on 7th from the day.

When rain stopped on the seventh day, the Kasuo River dried up and changed a flow beside the tree of the honey locust of the mountain side.

Thunder fulfiled the promise with the doctor.

Then a thing, the village of Kasuo are that it became without the damage of the thunderbolt without being troubled by a flood.

moxibustion灸(きゅう)
原文
in traditional chinese medicine, a type of heat therapy in which an herb is burned on or above the skin to warm and stimulate an acupuncture point or affected area.

日本語訳
伝統中国医学分野で、鍼治療部位または患部を温めて刺激するために皮膚の上または上方で生薬を燃焼させる温熱療法の一種。

落葉性の高木:アメリカサイカチ
deciduous trees: honey locusts
マルコ  投稿日時 2014/2/15 10:14
雷様の病気で知られる、智玄和尚の寺常楽寺(録事尊) は彼岸花の名所として有名みたいです。

この間、平成26年2月11日(火・祝)録事尊大祭が行われたようです。
マルコは今年、行けなかったので、また今度行きたいと思います 。

http://www.kanuma-kanko.jp/news_details.shtml?1291:2

鹿沼市観光協会より

雷様にお灸をすえた録事尊
建久元年1190年(平安時代が終わり、鎌倉時代が始まった年)に没した、名医中野智元(録事法眼)を祀ったお寺です。中野智元は、娘の病気の原因 を究明 するため、日本で初めて解剖を行ったといわれています。その後、後鳥羽上皇の病気を治癒させた功により、“録事法眼”の名を賜りました。こうして名医とし て有名となった智元のところへは、雷様も訪れ、お灸をすえて病気を治し、雷除けのお寺として知られています。地元では、録事様と呼ばれ親しまれており、彼 岸花が見事な景観となるお寺としても有名です。

参道(約50m)両脇に、彼岸花(曼珠沙華:マンジュシャゲ)が群生していて、9月中旬~下旬頃には、参道が真っ赤に染まります。真っ赤な花の中に白いソバの花も見ることができます。

常楽寺(録事尊)住職「中野智元」の没後、旧粕尾村の村人達は生前の徳を偲び、智元を「地蔵菩薩様」に、桂夫人を「聖観音菩薩様」に、また娘の小春を「地蔵観音様」に祀り、おのおの厨子に納め、智元と夫人の佛(ほとけ)は、下粕尾・中粕尾地区の家々を巡るようになりました。
 最近まで、娘の佛(ほとけ)も上粕尾地区の家々を巡っていましたが、現在は上粕尾北村の上粕尾小学校入口付近のお堂に安置されています。
 村巡りがいつ頃から始まったかは不詳ですが、300年以前からとの説があります。
     ※旧粟野町教育委員会「粟野の文化財(書物)」より引用(一部変更箇所有り)
マルコ  投稿日時 2013/9/21 16:49
 昔々、下野の国の粕尾と言う所に、天下に名の知れた名医、中野智玄というお医者さんが住んでいました。夏の昼さがりの事、和尚さんは弟子の小坊主を連れて病人の家から帰る途中でした。
「和尚さま、今日もお暑い事で」
「まったくじゃ。しかも蒸し暑くて、汗が乾かん」
二人は汗をふきながら歩いていましたが、突然、ポツリポツリと雨が降り始めて、みるみるうちに水桶をひっくり返した様な夕立になってしまいました。
「これはにわか雨じゃ!!急げ!」
「はい」
大雨と一緒に、いなびかりが走りました。ゴロゴロゴロー!
「きゃー、かみなり! 和尚さま、助けてー!」
「これっ、かんねん!!大事な薬箱を放り出す奴があるか!」
「すみません。でもわたくしは、かみなりが大嫌いなもので」
ゴロゴロゴローッ!ドカーン!!すぐ近くの木に、かみなりが落ちたようです。
「わーっ! 和尚さま!」
「だから、薬箱を放り出すな!」
和尚さんは怖がる小坊主を引きずって、やっとの事で寺へ帰ってきました。
「和尚さま。早く雨戸を閉めてください」
小坊主が言いますが、和尚さんはいなずまが光る空をじっと見上げています。
「ほほう。この雷さんは、病気にかかっておるわい」
「へっ? 和尚さまは、雷の病気までわかるのですか?」
「うむ、ゴロゴロという音でな」
さすがは、天下の名医。雷様の病気を音で聴きわけるのでした。その夜、ねむっている和尚さんの枕元に、こっそりと忍び寄った者がいます。それはモジャモジャ頭から二本のツノを生やし、トラ皮のパンツをはいた雷様でした。でも、何だか元気がありません。和尚さんのそばに座って、
「・・・あの・・・その・・・あのね・・・ふぅ~。」
と、ため息をついているのです。それに気づいた和尚さんは薄目を開けて様子を見ていましたが、やがて先に声をかけました。
「どうかしたのか? 何か、お困りの様じゃが」
和尚さんが声をかけると、雷様は和尚さんの前にガバッとひれふしました。
「わ、わしは昼間の、雷でござる」
「見ればわかる。それで、何か用か?」
雷様は、言いました。
「この二、三日、具合がおかしいのです。どうか、わしの病を治してくだされ。お願いします」「ほほぅ・・・やっぱりのう」
「それでその・・・、天下の名医ともなれば、お代はお高いでしょうが。こんな物で、いかがでしょうか?」
雷様はそう言って、小判を三枚差し出しました。しかし和尚さんは、知らん顔です。
「えぇい! これでは、たりませぬか」
雷様は、小判を五枚差し出しました。すると和尚さんはその小判をちらりと見て。
「わしの治療代は、うーんと高いのじゃ」
「そうでございましょう。何しろ、天下の名医でございますし。それではさらに、小判を追加して」
「いやいや。金の話は後にして、まずはそこへ横になりなさい」
「えっ、診てくださるんですか!」
かみなりさまは、大喜びです。和尚さんは腕まくりをすると、雷様の体を力一杯押したり、もんだりして調べます。
「ひゃー! ひぇー!うひょー! 痛い痛い! 助けてくれ~!」
雷様は、あまりの痛さに大声をあげました。その大声に驚いて、小坊主は部屋のすみで震えています。
「これ、かんねん!そんなところで、何をしておる。今度はお灸をするから、早く道具を持ってまいれ!」
急に声をかけられて、小坊主はビックリです。
「和尚さま。何で、かみなりなんぞの病気を診るのですか!」
「何を言うとる!!さあ、お前もお灸の手伝いをしろ!」
「和尚さま。あんな人の害になるような奴はいっそ死んでいただいたほうが・・・。」
「ばっかも~ん!!患者の選り好みをするのは医道の下の下じゃぞ!!たとえ敵の病気でも診るのが、医者のつとめじゃ!」
「うぅー、わかりました」
和尚さんは小坊主からお灸を受け取ると、雷様にお灸をすえました。
「うお~っ、あちちち、助けて~!」
あまりの熱さに、雷様は大暴れです。ところがお灸が終わったとたん、雷様はニッコリ笑いました。
「おおっ! 痛みがなくなった。体が軽くなった。お灸をすえたら、もう治ったぞ!」
さすがは、天下の名医。
「ありがとうございました! ・・・で、お代の方は、さぞお高いんでしょうなぁ」
「治療代を言い渡す!!金はいらん!!」
「じゃあ、ただなんですか!?」
「いいや、金の代わりに、お前にはしてもらいたい事が二つある。一つは、この粕尾では、かみなりがよく落ちて、人が死んだり家が焼けたりして困っておる。これからは、決して雷を落とさない事」
「へい、へい、」
「二つ目は、この辺りを流れる粕尾川の事じゃ。粕尾川は、大雨が降るたびに水があふれて困っておる。川が、村の中を流れておるためじゃ。この川の流れを、村はずれに変えてほしい。これが、治療代の代わりじゃ。どうだ? 出来るか?」
「へい。そんな事でしたら、お任せくだせえ」
どんな無茶を言われるかと心配していた雷様は、ホッとして言いました。
「それではまず、粕尾の人たちに、お札を配ってください。お札を家の門口に、はってもらうのです。それから粕尾川ですが、流れを変えてほしい場所に、さいかち(→マメ科の落葉高木)の木を植えてください。そうすれば、七日のうちにはきっと。・・・では、とぁぁぁ!!」
雷様はそう言うと、天に登ってしまいました。和尚さんは、さっそく村人たちをお寺に集めてお札を配りました。そして山のふもとの目立つ位置に、さいかちの木を植えました。

さて、その日はとても良い天気でしたが、にわかに黒雲がわき起こったかと思うといなずまが光り、ザーザーと激しい雨が降り出しました。村人たちは和尚さんから頂いたお札をはって雨戸を閉めて、雨が止むのをジッと待っていました。こうしてちょうど七日目、あれほど激しかった大雨がピタリと止んだのです。雨戸を開けると黒雲はなくなり、太陽が顔を出しています。不思議な事に、あれだけの大雨にもかかわらず、雷は一つも落ちませんでした。
「あっ、あれを見ろ!」
村人が指さすを方を見ると、昨日まで流れていた粕尾川がきれいに干上がり、流れを変えて、さいかちの木のそばをゆうゆうと流れているではありませんか。これでもう、村に洪水が起こる心配はなくなりました。雷様は、和尚さんとの約束を果たしたのです。

それからというもの、粕尾の里では落雷の被害は全くなくなったという事です。
マルコ  投稿日時 2013/9/21 16:22
録事尊縁起 現代語訳:駒場一男氏 常楽寺に関する資料より引用。

中野智玄の娘の難病

智玄が40余歳のころ、一人娘が難病にかかり、智玄は懸命に治療に努めたが快方に向かわない。そこで娘に、「おまえの難病は私の力では治すことができない。このうえは、どこの国の医師でもいいから名人を訪ね、治療や灸を試み、その体の病気が平癒したら帰郷するように。ただし、もし病気平癒ができなかったときは、帰ってこなくてよい。」と言い、娘を病気治療の旅に出すこととした。

娘さんかわいそうだよ~うあ゙ぁあ ・゚・(´Д⊂ヽ・゚・ あ゙ぁあぁ゙ああぁぁうあ゙ぁあ゙ぁぁ

娘は、両親にしばらくの間旅に出ることを申し出て、名医を探して治承3年(1180年)5月中旬出発した。旅に出てまもなくのある夜、宿もなく仕方なく木の下に一夜を明かしていると、夜も深まったうしみつ刻のころ、白髪の老人が来て、「その方、難病で悩んでいるようだが、わが灸点をたてるべきだ。これより伊吹山へ行き、七ツ葉のヨモギ草を取り灸をすればよい。そうすればこの難病は治ること疑いなし。」とつげ、かきけすごとく姿を消してしまった。夜が明けてみると、そこは真名子村大宮の前であった。娘は、老人に言われたとおり吹上村伊吹山へ向かい参詣し、さっそく七ツ葉のヨモギ草を取り、17日間灸をすえると、満願の日見事に病気が平癒したのである。娘はたいへん喜び、我が家へ帰ってきて両親へ一部始終を報告した。両親もことのほか喜び、天を拝み地に平伏し、「これはどこの国の何者かも分からない白髪の老人を訪ね、お礼申し上げたいがそのほうほうもない。」と、ただただ感謝するばかりであった。

病気がよくなってよかった!!。* ゚ + 。・゚・。・ヽ( ゚`Д´゚)ノウワァァァァァァン

娘の解剖

智玄は、娘の病気平癒に感心したり不思議に思ったりした。そこで、娘にたずねてみた。「その方、このたびの難病が治ったことは誠に不思議である。どうかその方の体の内部を見届けたく思う。その方の命を親にたまわりくだされないか。(難病の治療法が知りたいので、解剖して確かめたい。命をうばうことになるがよいだろうか。)」と、頼みこんだ。娘はこれを聞いて、「父上のおおせならば、私の一命は差し上げます。お望みにまかせます。」と、答えた。智玄はこれを聞いて大いに喜び、「それはかたじけない。一人の死を求めて万人が助かるの道理じゃ。」と、言い自分の考えに同調してくれたことに満足した。 こうして智玄は、ある日、母を伊吹山へお礼の参詣に行かせ、その留守の間に娘に体内の様子を見ることにした。ころは治承3年(1180年)6月下旬、裏山の沢に娘を連れていき、腹部を解胎してみると鳥の形をしたものがあった。不思議に思い、よくよく見ると、鳥の形をしたそのくちばしの先に当てるように灸がすえてあるのを発見した。さては、この鳥の形をした部分が病の原因だったのだなと思った瞬間、その鳥が飛び出し同国の久我石例山(石裂山?)へとびさった。その鳥は「せきれい」という鳥であった。その時から、この解剖が行われた沢を、子見谷沢と申し伝えている。
 
娘は死んでしまった。母は何も知らず伊吹山の参詣と17日の山ごもりを終え、粕尾に帰ってきた。帰宅して娘がいないのに気がつき、智玄に問いただすと、智玄はことの次第を残さず話して許しを願った。しかし、母はこれを許さずことのほか腹を立て、智玄がいろいろと謝罪やいいわけをしても承知することにはならなかった。

そりゃあ、家に帰ったら自分の娘が冷たくなって死んでいたら、誰だって怒るよねえ・・・しかも、殺したのは自分の夫でしょ?解剖する前に、奥さんに相談すればばよかったのに・・・。
(`Д´)ゴゴゴ…━(ノдヽ)━( 乂 )━━━ヽ(゚Д゚)ノゴルァァア!!


後鳥羽上皇の治療と録事尊

 かくして、よりどころなき智玄は木薬などを麻萱に包み持参して、諸国へ医者修行に出ることになった。そして、関八州(関東)、奥州(東北)、北国より上方(関西)九州あたりまでまわり歩いた。その後、文治年中(1185年~1190年)において、京都で後鳥羽院様が病気でお悩みになっており、あらゆる薬や医師にてを尽くしてみたが快方に向かわないとき、智玄に勅命が下り宮殿へ来るように召し出されることとなった。智玄は糸脈で後鳥羽院様の病気を判断し、お薬を処方して差し上げたところ、お悩みはたちまち平癒してしまった。そして、智玄へのごほうびとして「録事法眼」という医名をたまわり、お薬料として粕尾郷を拝領する栄誉を得た。その上、上本尊定朝作の薬師如来やいろいろな品々をいただいた。なおまた、この地にある薬師堂は、飛騨の大工が勅命を受けて一夜で建てたものだ。

智玄(これより録事法眼)は、粕尾の南の山に屋敷を構え、粕尾郷の領主となり、粕尾録事法眼となり、安楽に暮らしができるようになった。しかし、これも娘の孝心のおかげと思いをいたし、先祖と娘のために6万部の経を読ませ、丑寅の間に塚を作らせた。ここを六万部という。(当時)
しかし、録事法眼の妻は、「一天の君のご病気を治療して粕尾郷中を薬料にたまわったといえども、わが子一人に替えがたい。(後鳥羽上皇の病気を治し、粕尾郷を領地としていただいたとしても、娘一人の命にはかえがたい。)」といって、出家し、小宮沢の近くに小さな庵を立てそこに住むことになった。そこは、録事法眼の守り本尊の薬師堂より未申の方にあたり、朝日の塚と言っている反対側には夕日の塚がある。また、一段高いところに、薬師尊ならびに録事尊の別当所がある。この寺は、瑠璃光山蓮照常楽寺と号している。

まんが日本昔ばなしを深く調べてみると色々と自分の郷土や歴史について、面白いことがわかってくるよ!!って話です。
ゲスト  投稿日時 2013/8/11 0:27
「患者の選り好みをするのは医道の下の下じゃぞ」名言です。

曇りの表現を炭を流したように真っ暗と表現するのが凄い好き?
ゲスト  投稿日時 2013/2/9 16:37

中野智玄(なかの ちげん)は、安蘇郡粕尾村(旧粟野町 現鹿沼市)の人です。

12世紀後半の頃の名医と言われています。
智玄には、一人娘がいましたが、難病に罹ります。
彼は懸命に治療しましたが、快方に向かわず、このため、娘を病気治療の旅に出します。
旅に出て、娘が野宿をしていると、夢枕に白髪の老人が現れ、
吹上村(現栃木市)の伊吹山のヨモギで灸を据えれば治る旨伝えます。
娘は、老人の言葉に従い、伊吹山でヨモギ草を採り、17日間灸を据えると、病気が平癒しました。

娘は家に戻り、両親へ一部始終を報告しました。
智玄は、娘の完治を不思議に思い、その訳を知るため、解剖したいと娘に頼みます。
娘は父親の頼みを受け入れ、母親がいない間に解剖して、腹部に鳥の形をした所を見つけ、
その嘴の所に灸が据えてあるのを見つけます。

しかし、彼は帰宅した母親に責められ、家を出てしまいます。 諸国を巡っている内に都に着き、後鳥羽院が難病に罹り、誰もが治せないでない事を耳にします。 智玄が参上し、薬を処方したところ、たちどころに院の病気は平癒しました。このため、彼は「録事法眼」という法号を賜り、更に粕尾郷を与えられます。智玄は、粕尾郷の領主となり、安楽に暮らしができるようになります。しかし、妻は、娘の命を奪った事を忘れず、出家してしまいます。

智玄は多くの人々の病を治し、雷様の病気を治したとの伝説もあります。しかし、1190年(建久元年)、智玄も没します。現在、瑠璃光山蓮照常楽寺に祭られていて、
毎年2月11日には録事尊大祭として多くの参拝客を集めているそうです。彼が実在した人物なのかどうかは分かりません。彼が娘を解剖したのが事実だとすると、日本最初の解剖となると思います。
マルコ  投稿日時 2013/2/2 14:10
もうすぐ、常楽寺でお祭りが始まる頃なので、お祭りの詳細を書き込みしておきます。
ぜひ一度、お立ち寄りください。

録事尊大祭 平成25年2月11日(月・祝)

開催日:平成25年(2013年) 2月11日(月・祝)
 ※毎年2月11日開催
時 間:午前10時~午後3時頃まで
場 所:常楽寺(録事尊) [鹿沼市下粕尾949]
お問合せ:常楽寺(録事尊) TEL0289-83-0971/鹿沼市観光物産協会[まちの駅 新・鹿沼宿内]TEL0289-60-2507
アクセス:東北道栃木インターより車で25分/東北道鹿沼インターより車で30分
駐車場:30台(臨時駐車場も有り)
マルコ  投稿日時 2013/2/2 10:04
ついに!!「雷様の病気」の「常楽寺」が全国放送に・・・!!嬉しいなぁ~!!
マルコがこのサイトに書き込みした記事を誰かが読んでくれたのかな?って思うと栃木県民としてはとても嬉しいですね~。詳細を書き込みします!!

NHK・小さな旅のホームページより引用

11月20日(土)
トントンと ほとけ様 ~栃木県 粕尾地区~

山に囲まれ、清らかな川の流れに沿って続く粕尾地区。この地区に、昔から家々を巡り歩く仏がいる。仏は雷などの自然災害から地域を守り、体の悪いところを治してくれると人々から親しまれ、今も信仰が続けられている。この仏に、母の面影を重ねる人。息子の病気を治してくれるよう祈り続けた母。仏の言い伝えを学び、受け継いでいきたいという里の子どもたち。里をめぐる仏に思いを寄せる人々に出会う旅。

栃木県 粕尾地区への行き方
<電車で行く場合(東京方面から)>JR・東武鉄道「栃木」駅、または、東武鉄道「新鹿沼」駅で下車。そこからタクシーで30分ほど。

<車で行く場合(東京方面から)>東北自動車道栃木ICで降りて、県道32号線を永野や粟野方面へ。
20分ほど走って県道15号線と交わった辺りが、粕尾地区の中心部です。

主な出演者
中野宣史(なかの・のりふみ)さん(61)常楽寺の住職。

徳原道弘(とくはら・みちひろ)さん(75)「録事様」を1年ぶりにお迎えした男性。母が大切にしていた録事様を今でも大事に思い、送り迎えしている。

柏崎照子(かしわざき・てるこ)さん(66)語り部。病気がちだった息子がよくなるよう30年以上「録事様」に祈願し続けた。
よくなったお礼に録事様をもっといろんな人に知ってもらいたいと語り部を始める。






yassan  投稿日時 2012/5/27 11:25
いえ、どういたしまして(^^
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