伊古乃速御玉比売 は、忌部氏の祖 天太玉命 の 后神 天比理乃咩命 とも言われている。忌部氏は武蔵国(勿論 比企郡も)を含む 南関東に 総国 を作っていたのかも知れない。(推論ではあるが)
山姫 との関わりがあるかも知れないので掲載する。
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阿波忌部の東遷説話
『古語拾遺』等では、阿波忌部による房総の地名起源として次の東遷説話が知られる。
『古語拾遺』(大同2年(807年)成立)や『先代旧事本紀』の説話によれば、忌部氏遠祖の天富命(天太玉命の孫)は各地の斎部を率いて種々の祭祀具を作っていたが、さらに良い土地を求めようと阿波の斎部を率いて東に赴き、そこに麻(アサ)・穀(カジノキ)を植えたという。
同書では続けて、天富命が植えた麻が良く育ったのでその地を「総国(ふさのくに)」というようになり、また穀の木が育った地を「結城郡」というようになったとし(分注に、麻は「総(ふさ)」の古語とし、また上総国・下総国の2国がこれにあたるとする)、阿波斎部が移住した地は「安房郡」と名付けられたとする(分注に、これが安房国の国名になったとする)。また、同地には「太玉命社」を建てられ、これが「安房社」(現在の安房神社(千葉県館山市)に比定)にあたり、その神戸(神社付属の民戸)には斎部氏があるとも伝えている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%8C%E9%83%A8%E6%B0%8F#.E4.BC.9D.E6.89.BF総国(ふさのくに、捄国)は、上古の坂東の国。
「ムサ」は「フサ」と同じ語源でありもと南関東は1国であったとする説もあり、近藤芳樹『陸路廼記』などによれば、総国は安房国・上総国・下総国のみならず、相模国と武蔵国の地域をも含んでいたとされている。総国の一部が総上(フサカミ)国・総下(フサシモ)国となり、フサカミのフを省いて「サカミ」、フサシモのモを省き音便でフがムとなり「ムサシ」となったともされ、相模国と武蔵国も調物は布(麻)が中心であり調布や麻布などの地名も残る。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8F%E5%9B%BD