【史跡データ】
名称:埼玉県東松山市指定史跡「比丘尼山と横穴墓群」
所在地:埼玉県東松山市大谷
時代区分:古墳時代終末期
形態:横穴墓群
比丘尼山横穴墓群(びくにやまおうけつぼぐん)は、埼玉県東松山市にある古墳時代の横穴墓群の遺跡。1957年、「比丘尼山と横穴墓群」の名称で市の史跡に指定された。三千塚古墳群の第8支群が分布する通称「比丘尼山」の南斜面に3、4段に配列して築造された。40〜50基余りの横穴墓が分布していると思われ、うち3基が開口している。吉見百穴と同様の7世紀頃に造られたものであると思われる。1878年(明治11年)に山名貫義とオランダ人ヘンリー・シーボルトによって踏査が行われた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%94%E4%B8%98%E5%B0%BC%E5%B1%B1%E6%A8%AA%E7%A9%B4%E5%A2%93%E7%BE%A4「雷電山古墳」を散策した後は、川越カントリークラブの西側にある、東松山市指定史跡「比丘尼山と横穴墓群」を散策してみた。
現地解説板。解説板脇の藪の中に横穴があった。
「比丘尼山」は、伊豆に流されていた源頼朝を援助した比企郡司遠宗の妻が、夫の没後、比企禅尼となりここに草庵を営んだ、といういうことから呼ばれています。周辺には二代将軍頼家の妻若狭局が頼家亡きあと移り住んだと伝える場所などもあります。
また、この丘陵の斜面には、七世紀に出現した横穴墓群が存在します。比企地方では吉見百穴、黒岩横穴群などがあり市内では、この比丘尼山横穴墓群のみです。これらの横穴墓群は吉見百穴を中心に西に広がっており、同地方に移住した渡来系氏族の壬生吉志氏とのかかわりあいのある墓制とも考えられています。(現地解説板)
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