寺谷廃寺【てらやつ はいじ】(比企郡滑川町大字羽尾字平沼下) 興長禅寺 近く
埼玉県寺谷廃寺から勝呂廃寺への変遷
http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/33996/rsg082-13-sakai.pdf仏教が百済【くだら】から日本に伝えられて約50年の時を経て、日本初の本格的寺院-飛鳥寺【あすかでら】が6世紀末に建立されました。
埼玉県内には東日本最古と推測される寺谷【てらやつ】廃寺(滑川町)があり、本県でも7世紀前半に寺院が造営されたと考えられています。
やがて8世紀後半になると、関東の集落遺跡からは仏教的要素の強い遺物が出土するようになります。また、鑑真【がんじん】の高弟・道忠【どうちゅう】が民衆に布教活動を行ったのもこの時期のことと伝えられており、仏教が次第に民衆に浸透していった様子がうかがえます。
http://www.saitama-rekimin.spec.ed.jp/index.php?page_id=143興長禅寺 (〒355-0811埼玉県比企郡滑川町羽尾4717 Tel,0493-56-2107)
http://1st.geocities.jp/tekedadesu/kouchouzenjinamekawa.html↑
このお話の大谷にある 大谷瓦窯跡 は 東日本最古の寺院である 寺谷廃寺 に関係が深い。
この地域は、古代の権力者(物部氏、壬生吉士氏 等?)がいて、信仰の拠点であったようです。
また、大谷にある 比丘尼山横穴遺跡 は 吉見百穴遺跡 と同系統の遺跡です。
外国系氏族の 痕跡のようです。古代の大きな勢力と豊かであった当地域の歴史を感じる お話です。