芳賀町の手樋越(手彦子)の「七駄田」に行ってきました!!アニメで語られていた風習が今も生きている「手樋越の淵」とは・・・?

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芳賀町の手樋越(手彦子)の「七駄田」に行ってきました!!アニメで語られていた風習が今も生きている「手樋越の淵」とは・・・?

投稿者:マルコ 投稿日時 2013/3/31 17:24
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マルコは今回、栃木県の芳賀町の手樋越(手彦子)に行ってきました。

田んぼがどこまでも続く平地に手彦子公民館があり、そのすぐ横を五行川が流れていました。
あまりに何もなさすぎるので、近くの人にお話を伺おうと思い、川を越えたところにあった古そうな家に立ち寄りました。
マルコがこの近くにあったという「七駄田」と「夫婦の龍が住んでいた手樋越の淵」の場所を尋ねたところ、この家の主である大島三郎さんという方が色々とお話を聴かせてくださいました。
「七駄田」は元々、大島さんの家の土地だったそうです。
農地解放で土地を分けた時に大久保さん?という大島さんの下で働いていた方に土地を譲り、それで大久保さんが「七駄田」に家を建てて現在に至るとのこと・・・。

マルコが大島さんの話を聴いて一番びっくりしたのがアニメでも語られていた風習が今でも続いているということです。
「毎年、村人たちは二度と過ちを犯さないため必ず赤飯を炊き、火打石で切火をして清めてから手樋越の淵に流し、雌龍の供養をしたそうです。」と市原さんが語っていた風習なのですが、この風習も大島さんの家で昔からやっているとのこと・・・。
田植えをする前の日、赤飯を炊いてわらの包に入れて、真夜中に手樋越の淵に持っていきます。手樋越の淵に着いたら後ろ向きに赤飯入りのわらの包を投げ込むんだそうです。
昔、手樋越の淵は3mも深い淵で禁漁区になっていたものですから、大きな魚がうじゃうじゃいたそうです。赤飯入りのわら包を投げ込むと淵の中からものすごい音を立てて大鯉が躍り出てきたそうです。「真夜中に大鯉が立てる音が怖かった・・・。」と大島さんが話していました。今では、真夜中ではなくて、夕方頃にわら包を持っていくのだとか・・・。理由を尋ねると、「真夜中は危ないから」・・・確かに。

昔は竹の杭?竹を使って五行川の流れをせき止めて、田んぼに水を引いたそうです。
その竹の杭にわら包が引っかかったら、その年は不作だ。引っかからずにサーっと流れていけばその年は豊作だとわかるそうです。

さて、この占いが何を意味しているのか?そのことも大島さんが教えてくださいました。
竹の杭にわら包が引っかかるということは、その年は水が少ないから稲があまり育たない。
逆に、竹の杭に引っかからずにサーっと流れていくということは、その年は水が多くて稲がよく育つぞ。というサインなのだそうです・・・。

現在は、農地開発で五行川が整備され、蛇行していた川を一直線にしてしまったので、龍の夫婦が住んでいた淵は水がなくなってしまったそうです。淵のあった場所に大島さんが案内してくれるとのこと、一緒について行きました。
龍の夫婦が住んでいたという淵があった場所には、水は流れていませんでしたが、川っぽく整備されていました。その近くには大島さんの氏神様と並んで夫婦の龍を祀る青龍神社の小さな祠がありました。

マルコは色々と、まん日の舞台巡りをしてきましたが、お話の舞台まで連れて行ってくださって説明をしてくれた方に出会ったのは初めてでした・・・。
大島さんはご自分で民俗学のことについて調べて、本を書いているとのこと。民俗学のプロなんですね!!手樋越の「七駄田」に立ち寄ったのなら、是非、三郎さんのお宅を尋ねるといいと思います!!きっと、色々と面白いお話を聴かせてくれるでしょう!!
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