七駄田は芳賀の手樋越の堤が舞台らしいです・・・。

七駄田 についてのコメント&レビュー投稿
昔々、栃木県の芳賀に小さな村がありました。この村では日照りが続き、困った村人たちはイライラしていました。 ある時、村のお百姓さんが手樋越の淵の堤を通りかかると、龍が雷...…全文を見る

七駄田は芳賀の手樋越の堤が舞台らしいです・・・。

投稿者:マルコ 投稿日時 2013/2/2 14:24
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このお話の舞台は芳賀町の手樋越の堤が舞台になっているみたいです。

芳賀町. 江戸期~明治7年の村名。芳賀郡のうち。当村の七駄田には芳志戸堀 という細い堀を越えて樋で水が引かれており,細い堀を手樋【てび】といい,これを越えて水 が引かれることから手樋越と呼ばれるようになり,のち手彦子となったという。


芳賀郡芳賀町芳志戸の銅製鰐口(どうせいわにぐち)にその地名が鋳込まれているようです。
だから、相当昔から呼ばれている地名だったんでしょうね・・・。

銅製鰐口(どうせいわにぐち)有形文化財。S31.6.15指定。

面径13.1cmの小形の鰐口で、年代を経ていること、永い間打ち鳴らされたためか、肌が荒れている。撞座は素文で、2条、3条紐で3区に分けており、釣鐶の耳は比較的大きく、中央左右の目は短く小さい。表には「敬白奉懸熊野三所権現鰐口下州宇都宮東真壁芳士土手樋越」、裏には「嘉慶2年(1388)戊辰八月十八施主妙円尼敬白」と刻銘がある。
この鰐口は、近く五行川沿岸の手彦子にあった熊野権現に懸垂されていたもので、南北朝期の銘のある古い鰐口であり、銘文に古地銘芳士土、手樋越と書くなど、史料的にも貴重なものである。
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