地獄めぐりの現地での感想と覚源上人と閻魔大王から渡されたという不思議なお札について。

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昔、日光に弘法大師(こうぼうだいし)が開いたといわれる寂光寺(じゃっこうじ)という寺があった。この寺に、人々から尊敬されている覚源上人(かくげんしょうにん)というお坊さ...…全文を見る

地獄めぐりの現地での感想と覚源上人と閻魔大王から渡されたという不思議なお札について。

投稿者:マルコ 投稿日時 2012/11/3 21:17
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地獄めぐりの舞台である「若子神社」に行ってきた時(地図で言うと195号の道の奥にある方の神社)道の途中に大きな岩がありました。(将軍茶屋の近くの方の若子神社の所)気になったので車を降りて、岩の前にあった立て札を見たところ・・・「この岩の上に窪みがあり水を湛えているので「池石」と呼ばれた。この窪みに溜まった水は、あたかもこの岩が生きているかのように、一年中枯れた事が無い所から「生石」とも呼ばれた。池石の水かき回すと、雨が降るというという言い伝えがある。また、この石は若子神社の逢拝所(前立)であり、石の水が尽きないように無限の財益を授けると言われている。」・・・と書いてありました。

興味津々で岩によじ登って窪みを覗いてみると・・・落ち葉と泥で窪みが埋まっていました。余計な事とは判っていたのですが・・・窪みの中の落ち葉と泥を掃除してしまいました・・・。
岩の近くにあった「将軍茶屋」は閉店してもう何年も使われていない様子・・・若子神社に訪れる人が少ないんでしょうね・・・。
マルコが岩の窪みを掃除した時、窪みの中に溜まっていた泥水をかき回しました。
そうしたら・・・言い伝えの通り、雨が降りましたよ!!ただの偶然かもしれませんが、言い伝えは本当だったという事にしたいと思います。

この昔ばなしの主人公?である覚源上人のお墓は寂光滝への上がり口、若子神社鳥居の左方向を流れる寂光川を渡った山の中腹にあって、墓石は一メートルほどの高さです。
覚源上人のお墓は昭和三十年頃まで藪の中に埋もれており、それを知る者は誰一人いなかったそうです。ところが、1950年代に樵?炭焼き?さんによってお墓が発見され、世間の人の注目を引く事になったそうですよ。
なんだか可哀相な事ですよね・・・。長い間、誰にも知られず藪の中に埋もれていたなんて・・・。さぞや、寂しかったでしょね・・・。
もし、若子神社に行く機会があったら覚源上人のお墓参りを是非してあげてください!!

それから、覚源上人が閻魔大王から渡された御札について調べてみました。
現在、この御札は「釘念仏札」と呼ばれていて「日光山輪王寺 常行堂」という所でいただけるようです。なんでも「念仏を唱えて、寂光寺の釘抜念仏の御札を持ってあの世に行くならば、閻魔大王が極楽浄土に導いてくれる。」と言われており、「釘抜念仏」の信仰は、日光地方をはじめ、関東、東北、北陸、さらには九州までの広い地域まで伝わっていたらしいです。

本当かなぁ~?マルコは長い事、栃木に住んでいますが・・・「釘抜念仏」の「釘」の字も知りませんでしたよ・・・。
ちなみに、今でも日光の人たちはお葬式の時、亡くなられた方の御棺にそっとこの「釘抜念仏の御札」を納めるのが通例だそうです・・・。
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