そうめん地蔵 についてのコメント&レビュー投稿
今からおよそ四百年ほど前のこと、栃木県の氏家(うじいえ)に小さな地蔵寺があり、気の優しい住職が一人で守っていました。ある日、この領内のお殿様(勝山城の左衛門尉、さえもん...…全文を見る

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投稿者:マルコビッチ 投稿日時 2011/8/27 16:12
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そうめん地蔵さんに登場するそうめん地蔵さんは本名「将軍地蔵」って呼ばれていて 「雪姫・紅葉姫」に登場する「勝山城」(栃木県のさくら市のさくら市ミュージアム荒井寛方美術館の敷地の中にある)のすぐ近くにあるのです。たしかお地蔵様は・・・美術館の横を通っている「奥州街道」の「高尾神社」と荒井寛方美術館のちょうど真ん中のあたりにあるんですよ。
わかりにくくてすみません・・・。
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投稿者:beniko 投稿日時 2011/8/27 19:57
マルコビッチさん、教えてもらってありがとうございました。
やっぱりその土地に詳しい方は、知ってるんですね~。感謝感謝。
将軍地蔵の場所、見つかりました!
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投稿者:マルコビッチ 投稿日時 2011/8/27 22:11
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お返事ありがとうございます。
お役に立ててうれしいです・・・。
私の説明がわかりにくくて大丈夫だったかな・・・と心配してました。
私は小さいときから「まんが日本昔ばなし」が好きでよく自転車を乗り回して昔ばなしの舞台めぐりをしていました・・・。
だから、よく知っているんですよ・・・。
また、何か情報があったらお知らせします。
私の知らない情報も教えてくださいね!!
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投稿者:虎也 投稿日時 2011/9/15 14:28
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ありがとうございます!!!

資料が見つかりました!!!
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投稿者:レイ 投稿日時 2011/9/15 15:03
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みつけたーー
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投稿者:いさえ 投稿日時 2011/9/15 15:08
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ありがとーーーーーー
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投稿者:マルコビッチ 投稿日時 2011/9/15 18:56
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現在、そうめん地蔵は市が管理しているそうなので
さくら市の役所に申し込みをすればお堂の中(そうめん地蔵)を拝見できるかも・・・?
(そうめん地蔵の近所に住んでいる人から聞きました)
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投稿者:マルコビッチ 投稿日時 2011/10/31 22:06
地蔵寺の和尚さんが意地悪坊さんたちにいじめられた場所というのが
確か・・・「別所」と言っていたのでたぶんここだと思います。

調べてみたところ・・・「 東照宮の還座以前、日光参詣の中心はこの滝尾周辺であった。日光責めで有名な輪王寺の「強飯式」(山伏が、大盛りの飯を残さず食べろと責める儀式)も、ここが発祥の地であり 明治になって別所は廃絶。永正6年(1509)日光に来た連歌師、宗長の紀行文「東路のつと」には、「ここより谷々を見おろせば、院々僧坊およそ五百坊にも余りぬらん。」とあり、盛時の様子が偲ばれる。」とありました。

それと・・・「強飯式」の始まりは『そうめん地蔵』のお話と深い関係があるみたいですよ。

日光東照宮の東側を流れている川(上流に滝尾神社のある)
を滝尾神社の方へどんどん上がって行く途中にあります!!
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投稿者:beniko 投稿日時 2011/10/31 23:10
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現在、そうめん地蔵の場所をすでにマッピングしておりますので、追加はできませんが、調べてみました。
以下の地図の中央部分の、白糸滝周辺ですかね?グーグル地図のURLを貼っておきます。
http://g.co/maps/nruaa
※短いグーグル地図URLで貼ってみます。見れるのかな?
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投稿者:ココ 投稿日時 2012/11/14 23:00
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子供たちが そうめん地蔵の話が大好きで先日見に行きました。
お堂の中を拝見するには 市役所に連絡すればいいのですね。

沢山 そうめんを食べさせられた日光のお寺の名前は 滝尾神社?でしょうか?
わかる方 教えてくだされ~
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投稿者:マルコ 投稿日時 2012/11/27 22:54
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ええっと・・・そうめんを沢山食べさせられた日光のお寺は『滝尾神社』じゃありませんよ~!!世界遺産・日光東照宮の北の方に『開山堂』とか『北野神社』があります。
その近くにそうめんを沢山食べさせられた日光のお寺『別所』があったそうです。
現在『別所』は無くなってしまっていているので・・・見れるのは『別所』跡地だけです。
もし、ココさんが日光に行くとしたら「そうめん地蔵」の他に日光には昔ばなしの舞台や関係している場所がいっぱいありますよ~!!
例えば『別所跡』の近くにある『開山堂』の裏には栃木の昔ばなしの『大黒さま白ねずみ』に登場する『勝道上人』のお墓があったりなど・・・。
他にもあるので、まぁ・・・訊きたい事があったらお答えしますよ~。
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投稿者:マルコ 投稿日時 2012/11/28 0:19
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この間、久しぶりに『そうめん地蔵』を参拝しに氏家に行って来ました!!
私が前回訪れた時は、東日本大震災の後で『そうめん地蔵』様のお堂周辺にあった石仏などがひっくり返っていたり、閻魔堂の中にあった閻魔様の像が台の上から落ちてお堂の床に転がっていました。
でも、今はちゃんと綺麗に元通りになっていましたよ。(閻魔様以外は・・・)

前回来た時にはお堂の中の『そうめん地蔵』は厨子の中に入っていて見られませんでした。今回、そうめん地蔵を訪れた時には(お祭りの日だったとか特別な日ではなかったのですが)厨子の扉が開いていて、マルコは初めて『そうめん地蔵』を拝見することができましたよ!!

昔ばなしの中で語られていた通り、立派なお地蔵様でした。しかし、昔ばなしと違う所は
本物のそうめん地蔵は木造であって、石造りではありませんでした。昔ばなしで描かれていたようなポーズはしていなくて、胡坐をかいて座っていて、左手に如意宝珠、右手に錫杖を持っていました。大きさは、等身大よりもちょっと小さいか同じくらいかな?という感じで、木造でかなり古いために仏像に施されていた色彩はすっかり落ちてしまっていましたが、それでも、威厳の有るお地蔵様でした。
(お地蔵様の前に神社で御神体として祭ってあるような不思議な鏡?があったのですが、これも何か意味があるのかな?でも、仏教で神道?う~んわからないなぁ・・・。)

誰かがお堂の中を掃除してくれたみたいで、綺麗になっていました・・・。掃除してくれた人・・・ありがとう!!
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投稿者:マルコ 投稿日時 2012/12/22 21:29
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石岡光雄さん編集の「氏家むかしむかし」(1996年9月一日発行)より 

むかしむかし、堂っ原の万願寺(そうめん地蔵のお寺)にエッチな坊さんが住んでおりました。この坊さん、朝晩のお勤めもしばしば休んでは、禁じられた遊びにうつつを抜かしてばかり。お寺はいつも空っぽでした。

毎日の勤行を受ける側の仏様の方から見れば、どうにも治まりません。ある時、仏様もとうとう我慢できなくなってしまいました。白衣の仙人に姿を変えて地蔵院の屋根のてっぺんに登り、道行く人に大声で色坊主の罪状を並べたてて怒鳴りました。

「この地蔵院の住職は色欲に身をやつし、徳を積まずに悪行三昧、しかも強欲で非情で・・・。」と好色坊さんの今までの悪事を片っ端から並べ立てました。白衣の仙人の姿をして屋根上で怒鳴る声を聞いて、村人はビックリ仰天しながらも、その声を聞いて、なるほどその通りと感心していました。

仙人はなおも言葉を続けて、「こんな色欲に穢れた地蔵堂など、燃やしてしまったほうが世のため、人のため・・・。」というが早いか、自分のいた地蔵堂と七堂伽藍に火をつけて、あっという間に燃やしてしまいました。

なおも仙人は燃え盛るお堂の火中にあって、「我は地蔵院の化身、日羅の霊である!!」と叫んで姿を隠してしまったそうです・・・。

編者・石岡光雄さん
大正十五年一月三十日、栃木県氏家町上阿久津に生まれる。氏家町文化財保護審議委員会委員。氏家町史専門委員。ミュージアム氏家研究委員。
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投稿者:マルコ 投稿日時 2012/12/22 21:35
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・・・エッチな坊さんのせいで、そうめん地蔵のお堂が炎上していたなんて・・・知りませんでしたね・・・。仏様も怒るのは当然ですよね・・・。
このお話には、続きがあるのですが・・・聞きたいですか?時間があったら書き込みしますが・・・?どうでしょう?
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投稿者:マルコ 投稿日時 2012/12/23 6:32
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源義家(八幡太郎義家)が奥州に進軍した時のお話です。鬼怒川の釜ヶ淵の悪蛇が邪魔をして進めません。宇都宮氏初代当主の宗円法師の祈りによって将軍地蔵が出現して悪蛇を退散させたので、勝山城を守護する寺院として堂っ原に将軍地蔵万願寺を建てました。
室町時代のころ、ここから日光山へ修行に行ったお坊さんがいじわる山伏にそうめんを無理やり食べさせられて気絶しました。すると、別のお坊さんがやってきて、日光中のそうめんを食べつくしたので山伏は降参しました。そこで、お坊さんは将軍地蔵の姿を現し、お坊さんを連れて勝山に帰りました。
これから「そうめん地蔵」の伝説が生まれ、日光の責め・強飯式が起こったといわれています。
戦国時代に北方の那須勢(扇の的のお話で有名な弓の名人・那須与一が出た家)が攻めてきて焼き討ちをしたので万願寺は焼けてしまいました。
江戸時代には再建されて堂ッ原地蔵堂となり奥州街道をゆく人人の安全にご利益があるというので有名となり、遠くは秋田、会津の商人たちから奉納された石灯籠などが残されています。
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投稿者:マルコ 投稿日時 2013/5/30 19:38
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今から1000年近く前の1062年(康平5年)に、奥州で安倍貞任(あべのさだとう)、宗任(むねとう)の兄弟が反乱をおこしました。
 それを鎮めるために、軍隊を引き連れた八幡太郎義貞(はちまんたろうよしさだ)は天台座主という、とても偉いお坊さんの宗円も伴って都を出発し、北に向かっていました。
 白沢や下ケ橋(現宇都宮市)を経て、軍は鬼怒川を渡ろうとしました。しかし、河原にはたくさんの妖怪たちが雲を巻き、雨を降らせて川を氾濫させ、軍隊の渡河を邪魔しました。
 そこで、八幡太郎義家は宗円に命じ、川の氾濫を抑える祈祷呪術をさせました。すると、河原の中に忽然と将軍地蔵が現れ、瞬く間に妖怪を退散させてしまいました。元の静かな川に戻ったので、軍は無事鬼怒川を渡って勝山の陣場にたどり着くことができました。義家は、この出来事から堂原に地蔵堂を建てて将軍地蔵を祀りました。この時祈祷した宗円は、後に宇都宮氏となって、下野中央部を治めました。

【うんちく】
 将軍地蔵は「そうめん地蔵」とも呼ばれており、「そうめん地蔵伝説」も伝わっています。
 また、地蔵のある堂原地蔵堂境内は、市指定史跡になっています。
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投稿者:まるこ 投稿日時 2013/5/30 19:48
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日光輪王寺の伝統行事強飯式について詳しく説明します!!

日 時 毎年4月2日開催
場 所 大護摩堂
※本堂(三仏堂)修復工事に伴い、数年間は大護摩堂にて強飯式を執り行います。
祈祷料 3、000円
授与物 福杓子祈祷札・福米

縁喜がらまき
各座の最後に縁喜がらまきがあります。 子供席も用意してありますので、ご家族皆様でお詣り下さい。

日光山と強飯式
強飯式は、全国でも日光山だけに古くから伝わる独特な儀式です。 江戸期には、徳川将軍家の名代や全国の名だたる大名たちも「わが藩の名誉」として強飯式頂戴人に名を連ねました。というのも日光山といえば天皇の皇子を「輪王寺の宮」として迎えた鎮護国家の道場として天下に知られ、大名といえども、おいそれとはこの儀式に参加できなかったからです。

七難即滅・七福即生
強飯頂戴人(ちょうだいにん)として儀式に参加したり、御札を授かると、多くの御利益が得られると云われます。
それは「三天合行共」と「採灯大護摩供」という当山伝統の秘法が、儀式に先立ちとり行われるからです。昔から「この秘法を受けた者は、 七難即滅・七福即生の現世利益疑いなし」と語り継がれ、
今日に至っています。

福杓子祈祷札と福米
強飯式は、文字どおりメシを強(し)いる儀式ですから、ご祈祷を申し込まれた方には、御札と福米をお授けいたします。 御札は、シャモジ型です。たくさんの福を家庭に盛り上げる意味があり、五色の帯は、健康運・家庭運・財産運・事業運・除災運の五つを表します。福米は、食事の際ご家族みなさんで食して下さい。
御札は、仏壇や神棚など、高い処に一年間お飾り下さい。

※御祈祷をお申込の方は、当日 大護摩堂内の儀式に参列できます

「強飯式」の儀式全体は、
『三天合行供・採灯大護摩供』
『強飯頂戴の儀』
『がらまき』
という、おおよそ3つの部分から成っています。

三天合行供 ・ 採灯大護摩供
~日光山伝統秘法による特別祈祷~
儀式はまず、僧侶・山伏・頂戴人、約20名の行列が、法螺貝の響き渡る中、三仏堂に入堂します。

強飯頂戴の儀
二つの秘法が修し終わると、堂内が明るくなり、 頂戴人の方々が壇上にならび、いよいよ『強飯頂戴の儀』が始まります。入堂が終わると、お堂の全ての扉が閉じられ、照明も全て消され、明かりは、壇上に灯された1本のロウソクのみとなります。やがて、堂奥から『三天合行供』の読経の声が立ちのぼり、壇上には『採灯大護摩供』の赤々とした炎が上がります。堂内は、神秘的な祈りの雰囲気で満たされます。

が ら ま き
【参加自由】
強飯頂戴の儀を無事済ませた頂戴人たちが、儀式で授かった福徳を『自分だけのものとせず、他の人にも分けてあげる』という仏教の教えにのっとり、信徒の方々が奉納した縁起物や玩具の品々を本堂回廊から堂外の一般参拝者へ向けて一斉に撒く、強飯式の総仕上げです。これでめでたく強飯式は結びとなります。

お問合せ
日光山輪王寺 教化部
栃木県日光市山内2300
TEL:0288-54-0531
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投稿者:マルコ 投稿日時 2013/8/10 14:52
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そうめん地蔵のあるお堂の境内に、大きな銀杏木があるんです。それについて解説します!!

【堂原の公孫樹】 天然記念物(昭和61年11月28日指定)

 堂原の将軍地蔵(そうめん地蔵)境内にあるイチョウ科の落葉高木で、雌雄異株。原産は中国。樹皮が厚く、耐火力にすぐれ、薬用にもなったので、日本では古い由緒をもつ神社仏閣に医療・火防の霊樹として植えられた。このイチョウは今宮神社のイチョウ(町指定天然記念物)と推定樹齢が同じく約六百年とされている。

 今宮イチョウが雄、このイチョウは雌で、併せて「夫婦イチョウ」と呼ばれている。樹幹や枝から気根がたれ下がり、乳房の様に見え、樹液がしたたるので、古来より、乳不足の母親はこのイチョウに願いをかけると効きめがあったといわわれている。晩秋には沢山の銀杏が落ち、賞味されている。当地方の名木であり、まれにみる巨木である。

  樹齢(推定)  約六百年

  樹    高  二八・二メートル

  目 通 周 囲  四・九メートル

     氏家町教育委員会
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投稿者:マルコ 投稿日時 2013/11/16 20:32
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そうめん地蔵様が食べたそうめんが西の谷の川を流れていて、その谷を「そうめん谷」というようになったという話を、色々と調べていたマルコなんですが。
もしかしたら、そうめん谷は滝尾別所のあった山内から西のほうにある荒沢かもしれません。

理由はというと、ある古い書籍に「荒沢には、荒沢の谷川を見下ろすようにそうめん地蔵があった」と書いてあった事。滝尾別所から西のほうにある谷川というと、上流に地獄めぐりの若子神社のある田母沢か荒沢以外に考えられなかったからです。

紅子さんはどう思いますか?・・・答えにくいなら返事なしでも大丈夫です。
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投稿者:マルコ 投稿日時 2014/1/8 16:20
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年が明けてから「そうめん地蔵」様の所へ行って新年の挨拶をしてきました。

マルコがお堂を覗くと赤い布に金の刺繍糸で模様を書いたよだれかけして、頭巾をかぶったそうめん地蔵様がいらっしゃいました。きっと誰かが作ってくれたんですね。

以前、そうめん地蔵に来た時に話を聞かせていただいた、そうめん地蔵隣のおばさんの家。いつの間にか無くなって真新しい倉庫になってました。吉田さん?という方だったのですが、とても親切な方でした。マルコが話を聞かせていただこうと思って立ち寄ったとき、具合が悪かったようなのに、わざわざ出てこられてマルコに一生懸命お話を聞かせてくださいました。そうめん地蔵の話だけではなくて、自分の身の上話や何で具合が悪くなってしまったのかいろいろと話してくれました。

痛々しい手術の後を見せてくれた時には、マルコはびっくりしましたけど。だって、わたしだったら見ず知らずの人にそんなことをしないですもん。たぶん、おばさんはうれしかったのだろうと思いました。訪れる人も無い家にお客さんが来てくれたのでおばさんうれしかったのでしょう。マルコも、ニコニコしながら一生懸命お話を聞かせてくれるおばさんを見ていてうれしくなっちゃいました。

あの時の帰り際「またおいで」って言いながら、缶ジュースをくれました。約束、果たせませんでしたね・・・・。

おばさんの優しさをマルコは忘れません。

まんが日本昔ばなしの旅。アニメと実際の場所が今現在どういう風になっているのか?昔ばなしが地域とどのような関係を持っているのか?マルコはそういったことを調べるのが好きです。でも、昔ばなしの旅をしていて出会える、人間の優しさに触れるっていうのはもっと好きです。
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