Re: とうせん坊

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昔、一本足の高下駄を履き、松明を持ったとうせん坊という大男が村を暴れ回っていた。 彼が物心付いた時すでに両親は無く、北上川上流の小さな寺に預けられていたが、大柄で頭が足...…全文を見る

Re: とうせん坊

投稿者:ゲスト 投稿日時 2019/1/4 7:22
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「物理的な力や権力は、それを使うに見合った賢さや判断力がないと本人ですら不幸になる」って教訓ですかね…。
いじめは悪いことだというのは変わらないけど、それを見返すためにやったことや悪気なくやったことがことごとく暴力になってしまって、最悪の結果になってしまっている。

きついお話だけど、自分に必要な力はなにかを知らず、物理的な腕力や権力を得ても制御できないことが一番な不幸をよんでしまうのかも。
多分観音様にお願いするときも、「腕力をください」ではなく、「賢さをください」なら、また違った終わり方になったかもしれないね。

今現代でも、生活に困っているからといって、お金のきちんとした使い方を知らない人に生活保護を支給してもギャンブルや最悪変な薬に手を染めてしまうし…。

最後のシーンでも、ここでは優しい人に囲まれてお酒で酔って幸せな気分のまま寝込んだとなってますが…
話によっては酔っ払って暴れた結果、親切に宴会に混ぜてくれた人たちを死なせたりと、親切にした人たちから見たら、恩を仇で返されたようになってしまっているので…。

こう言っちゃなんですが、悲惨な殺人事件でも犯人が過去に辛いことがあり精神病患ってたり知的に障害があるからから無罪になるケースがあったりしますが…。
確かに加害者に事情があるとはいえ、被害者や当事者にしたら、判断力がなければなにをしてもいいのか!という恨みだけが残ります。
判断力がなくても、行動や腕力は人並み以上で制御できないからといって、仕方ないよねとはなりません。

自分で制御できない・きちんとした判断力がなければ、お金であれ権力であれ腕力であれ、身の丈にあった力をつけるのが良い。
もしくは、まずその力をコントロールする知恵をつけさせることが必要だという教訓でしょうか?
なんだか、考えさせられます。
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