Re: とうせん坊

とうせん坊 についてのコメント&レビュー投稿
昔、一本足の高下駄を履き、松明を持ったとうせん坊という大男が村を暴れ回っていた。 彼が物心付いた時すでに両親は無く、北上川上流の小さな寺に預けられていたが、大柄で頭が足...…全文を見る

Re: とうせん坊

投稿者:Perenna 投稿日時 2019/8/25 20:22
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この昔話のアニメの原作や出典について調べてみました。
まず「とうせん坊」という題の伝説については、江戸時代の元禄年間ごろに花巻に在住していた松井道圓が著した「吾妻むかし物語」が出典元になっています。
「稗貫の高松寺」にいた「宗元」という悪僧が、北陸の石動山に逃れていき「とうせん坊」を名乗ったと書かれています。
それよりも前の文献では、馬場信意が著した「西国盛衰記」があります。
現在、「通俗日本全史・第15巻」に収められており、宝永年間ごろの成立とみなされています。(コマ番号140/370)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/770213

「寄木遊覧附號東尋坊大風之由来
昔し、能登の國石動山天平寺に、東尋坊と云ふ大悪僧あり、邪儀放逸にして、帰佛信法の心なく、我慢第一の法師なり」

おそらく「吾妻むかし話」を書いた松井道圓は、馬場信意の「西国盛衰記」の「東尋坊」の逸話を下敷きにして、岩手稗貫の「宗元」の伝説を結びつけたのではないかと思われます。
「とうせん坊」は「東尋坊」の東北なまりなのかもしれません。
また、昭和13年に出版された「北陸・高山線地方」(日本旅行協会)という旅行ガイドブックには、東尋坊について以下のように書かれています。(コマ番号8/28)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1120951/8

「昔平泉寺の僧房に東尋坊と云ふ強力無双の悪僧があつた。一山の信徒は之を憎み、一日三國海岸見物に事寄せて誘ひ出し、したゝか酒を飲ませて此の深淵に突き落として殺したところ、その後怨念によつて色々の怪異があつたので、此の名が生れたと云ふ。」

江戸時代の頃の東尋坊は、石動山と関係がありました。
しかしいつのころからか、平泉寺や雄島の大湊神社と関係ができてしまったらしいですね。
ちなみに、アニメで表現されている「一本足の高下駄」とか「鍋に糞をされた」というエピソードは、佐々木喜善の著した「聴聞草紙」に収録されている「島の坊」が元ネタになっているらしいです。

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