=桂川、梅津の 罧原堤(ふしはらつつみ) と 桂女=
松尾から嵐山に向かうこの道路、罧原堤(ふしはらつつみ。しかし読み難い地名が
多いですね、京都って土地は)、観光シーズンは車が大渋滞するところです。
時代劇の撮影にもこの河原はよく登場しますね。船付場のロケシーンはたいがいこの河原。
「大原女」や「白川女」はよく知られていますが、桂川にも※「桂女」と呼ばれる
女性たちがいたそうです。
鎌倉時代は遍歴する鮎売りの商人として「おほやけもの」といわれ、室町時代には
遊女の一種とみられていたようです。
その後も桂川の鮎を朝廷に献上を続け、名主は女系相続をして明治まで緒家の
祝い事の祓いや貴人の婚礼の際のお供をする、巫女的な働きをしていたそうです。
やはり不思議なパワーを持つ川なんですね。
※桂女は「桂包み」「桂巻き」といわれる長い白い布で頭を覆い、前で桂結びを
していた。その一枚布が「桂むき」の語源といわれる。京都語源案内 黒田正子著。
http://blog.goo.ne.jp/you_sai/e/166f778b997b17cc848e5eb247e5ec22=桂女(かつらめ)=
山城国葛野郡桂(現在の京都府京都市西京区桂)に住む、
女性であり、かつて時代により巫女、行商、遊女、助産師、予祝芸能者といった役割を担った。
桂御前(かつらごぜん)、桂姫(かつらひめ)、桂の女(かつらのめ)とも呼ばれた。
「桂女」の始祖は、武内宿禰の娘「桂姫」であり、「桂姫」が伝えた飴の製法が、のちの「桂飴」となったとも伝えられる。
平安時代後期(11世紀 - 12世紀)には、供御人として桂川で収獲した鮎を朝廷に献上する鵜飼集団の女性が源流であるともされる。
鎌倉時代(12世紀 - 14世紀)には、桂からくる女性の鮎売を指し、桶を頭上に載せて売り歩くスタイルをとった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E5%A5%B3↑
梅津長者物語 を人々に伝承した、桂女も多くいたと思われます。