真下美弥子 著 =室町時代物語論= (抜粋)
同・第二章「福神来訪の物語の方法」は、『大黒舞』『梅津長者物語』のそれぞれが、除災招福を主張する京洛の福神信仰にもとづき制作されたことを究明する。すなわちそれは、まず両物語の伝本が、いずれも大型の絵巻・絵本の形態によることを確認し、その筋立に共通点の見出されることを考察する。しかしながら『大黒舞』主人公大悦を『二十四孝』の大舜を擬して造形しており、福神来訪の物語に仕立てあげるのに、昔話「藁しべ長者」を素材とし、悪霊退散と招福の性格を加えて成っていくのに対し、『梅津長者物語』が夫婦者を主人公として、昔話「大歳の客」を素材とし、それを複合して貧乏神退治を経て七福神の来訪を説く物語に仕立て上げていると論究する。また以上の検討を通して、『大黒舞』が先行して成立し、次いで『梅津長者物語』が制作されたことを究明し、それぞれが室町末期、あるいは江戸初期における京洛の裕福層の人々の間で、絵を見、詞章を音読するという方法で享受され、それによって福神来訪を期待する機能を有していたことを論究する。同・第三章「『梅津長者物語』と檀林皇后伝説﹂は、『梅津長者物語』が、その主人公左近丞を橘氏の末裔とする叙述に注目し、梅津の橘氏関係の伝承を追い、祝言の物語の生成の土壌を究明する。すなわちそれは、まず『雍州府志』の掲げる記事や梅宮に伝えられる檀林皇后の臍の緒切りの伝承から、梅宮と関わる檀林皇后橘嘉智子の子授け祈願・安産説話が、『桂女資料』等の説く桂女の始祖・岩出姫の神功皇后安産説話と関わり、梅津の桂女によって伝承された可能性を説く。ついで梅宮周辺に点在する皇后伝承が、西福寺など熊野比丘尼の活動の拠点とする寺院とかかわることから、これがまずは熊野比丘尼によって伝播され、やがて桂女に継承されたことを類推する。しかして『言継卿記』『言経卿記』などによって天正年間には梅津に千秋万歳をおこなう芸能者の住していたことを確認し、これらの人々が橘氏の末裔を主張した可能性を説き、本物語の主人公夫婦像にはこのような芸能者および桂女の実像が投影されていることを考究する。同・第四章「『梅津長者物語』と『牛頭天王縁起』」は、両物語が有機的な関連のもとに構築されたことを考究する。すなわちそれは、疫神牛頭天王が中世陰陽道のなかで歳神的性格を担って、福神に近い性格を帯びるに至ったことを論究し、『梅津』の左近丞と『縁起』の蘇民将来とがきわめて近似した性格を保有し、桂川畔の梅津と賀茂川畔の祇園とは、福神の招来と疫神追放の境界地として対応するもので、両物語はそのような京洛の精神風土のなかで機能し合っていたと説く。
立命館大学大学院文学研究科博士論
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