右京区(うきょうく)
かつてこの地には山背(山城)国府が置かれていたともいわれる。渡来人の秦氏もこの地方を拠点として活躍したと思われ、氏寺として広隆寺を建立した。秦氏は聖徳太子とも関わりがあったらしく、のちの山背大兄王が蘇我氏に攻められた際には、彼に太秦に避難するよう進言する者があった。秦氏と関係の深い桓武天皇が平安京を定めると、京中に寺の建立が禁止されていたために、現在の右京区域にも多くの寺社が立ち並んだ。嵯峨天皇が嵯峨離宮(後の大覚寺)を建てたりするなど多くの貴族はこの地に馴染み、また嵐山に遊んだ。
平安京造営の際に木材を献上した山国郷(京北山国・黒田地区)が歴史上最初に現れる。
山国郷の木材が桂川を下り、下流の嵯峨・梅津などで陸揚げされて京都に運ばれた。
桂川の水運は嵐山や梅津を荷揚場とし、天神川を水路として丹波以北からの品物を京都中に運んだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B3%E4%BA%AC%E5%8C%BA江戸時代、葛野郡には83村あった。
1889年(明治22年)4月1日 - 市制・町村制施行(葛野郡17村)。
内、東梅津村,西梅津村 は合併し梅津村(うめづむら)となる。
1931年(昭和6年)4月1日 葛野郡嵯峨町、太秦村、花園村、西院村、梅津村、京極村、梅ヶ畑村、松尾村、桂村、川岡村が京都市に編入、右京区が誕生。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E9%87%8E%E9%83%A1http://homepage1.nifty.com/ishato/tiri/sityoson/05kinki/26_kyo11.htm