Re: 立花六角堂

立花六角堂 についてのコメント&レビュー投稿
昔、岐阜の立花に地蔵坂峠という峠があった。 ある日、飛騨からやって来た一人の大工がこの峠を通りかかった。すると突然霧が出てきて、その中に六角のお堂がぼんやりと現れた。よ...…全文を見る

Re: 立花六角堂

投稿者:ゲスト 投稿日時 2015/11/2 12:56
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下記のブログを要約して。
白山信仰が「男女結縁之参詣」を許す前宮 洲原神社への信仰となった。
洲原神社の神は、水の神である白山の神であるが、水の神とされた為 瀬織津比売神が仏としての現れる地蔵尊となり、六角堂の地蔵堂を建立し信仰されている。
神仏習合を紐解けば、地蔵尊は白山の神であることがわかる。

「洲原白山神と円空」
洲原神社というのは、白山信仰における美濃国側の中心的な里宮(「前宮[さきみや]」といわれる)で、尾張・三河国などからも「洲原参り」が盛んだったようです。
円空も洲原神社には特に関心を抱いていたらしく、次のような歌を詠んでいました。
  白ら山や洲原立花引結ふ三世の仏の玉かとそおもふ(歌番一四四二)
歌中「立花」は立花神社のことで(美濃市立花)、洲原神社と立花神社は、後社が前社の「お前立て」といった関係にあります。立花神社の社前には長良川が流れています。鳥居の横に立てられた幟には、社名の立花神社ではなく白山神社と染められていて、円空の歌にあるように、ここが白山神の祭祀であることがよく伝わってきます。立花神社は桜の参道も印象的で、一の鳥居は国津神系の鳥居にもかかわらず、拝殿前の鳥居(二の鳥居)は神宮と同形式の鳥居を構えています。
洲原神社は三殿から成り、本殿に伊奘諾尊、東殿に伊弉册尊、西殿に大穴牟遅神をまつっています。白山信仰の美濃国の中心社にもかかわらず、本殿に白山比咩神に相当する神名が見当たらないことはいささか奇異です。
また、洲原神社も立花神社と同様に、社前を長良川が流れています。正確にいえば、長良川の中州にある「神岩」が社前にあります。水神・川神としての白山の神は、長良川の上流(白山)からやってきて、この岩に影向するといった信仰があったものとおもわれます。長良川(神岩)からみますと、社叢のなかに神仏混淆時代の名残りである山門(楼門)があり、この門をくぐると、まっすぐ拝殿から本殿へと向かうことになります。中世まで洲原神社の神職をしていた西神頭[にしごとう]家は、先祖を泰澄(白山の開山者とされる)の弟・三上安定としています。西神頭家がなぜ洲原神社の神職を解かれたのかは明確な記録がなくはっきりしませんが、同家に伝わる「洲原白山并安定由緒書」(『美並村史』史料編所収)によれば、泰澄は養老五年(七二一)閏三月、長良川(本文は「長川」)河畔に清浄地を選んで「下品下生之浄土」と見立て、白山山頂の祭祀を再現するように洲原白山神社をまつったといいます。その祭祀は、神体山(鶴形山)の山頂奥宮を「内宮」とし、そこに白山三尊をまつり「女人結界之山」とする、また、この山の麓・長良川河畔に里宮を「外宮」として建て、そこにも白山三尊をまつり、特に十一面観音については地蔵菩薩を「前立」として配し、ここまでは「男女結縁之参詣」を許すこととした、というものです。ここでいう「外宮」は現在の洲原神社のことですが、「由緒書」は、この外宮の「右傍」には「即ち地蔵大士の垂跡なり」とする「十王堂」をおいたともしていて、さらに「地蔵菩薩即ち十禅師なり」、ゆえに、洲原白山神社は「三所妙理白山十禅師大権現」と称すとしています(江戸期の「十禅寺」表記につながってきます)。
室町期の『神道集』(巻第三)には、「六ノ宮ハ十禅師権現ト名ク、本地ハ地蔵菩薩也」と書かれていました。これらは天台宗の発想によるものですが、どうやら、洲原白山(洲原神社)・野々宮・樹下神社(樹下宮)の三社ともに、同じ神仏混淆の祭祀がなされていたことがわかります。
瀬織津姫神を本殿にではなく、境内社において、あくまで御手洗神(禊神)・祓戸神と限定して(降格して)まつろうとしていることでしょうか。
瀬織津姫神を「祓戸神」と見立てたとき、その本地仏を「弁才天或地蔵或釈迦」とするというのが天台宗内部の黙契でした。
洲原白山(洲原神社)は野宮(野々宮)神ゆかりの社であり、ここは白山里宮(前宮)でもありました。洲原神社の権現表示が「三所妙理白山十禅師大権現」(本地:地蔵菩薩)、つまり、ここに「三所妙理白山」(白山妙理三所権現)の主尊である十一面観音の「前立」として地蔵菩薩(祓戸神の本地仏)が配されたのは、泰澄の創祀として語られるも、実質は、その後の天台宗における付会かつ黙契的表現だったとみられます。いいかえれば、禊祓の神と見立てられた神が洲原神社の本来の祭神だったのでしょう。また、洲原神社においては、地蔵菩薩の祭祀と関わる「十王堂」、つまり、閻魔堂があったとされます。ここには、社前の長良川を三途川に見立てた地獄の思想(浄土信仰)を持ち込んだ天台宗の徒がいたはずで、この三途川があってこその地蔵菩薩だったとおもわれます。
祓戸神(本地:地蔵菩薩)ともみなされた、洲原白山の本来の神だったとおもわれます。
円空は「白ら山」の神(「洲原立花」にもまつられていた白山の本源神)を「三世の仏の玉」と詠っていました。「三世の仏」は、過去・現在・未来の時間を内包する弥勒菩薩のこととおもわれます。「玉」は「霊[たま]」で、霊神の意でしょう。円空の晩期の信仰・思想は、白山の霊神・秘神を、弥勒菩薩とゆかり深い神と感じ取るところまできていたようです。
http://blogs.yahoo.co.jp/tohnofurindo/13135367.html
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