Re: 立花六角堂

立花六角堂 についてのコメント&レビュー投稿
昔、岐阜の立花に地蔵坂峠という峠があった。 ある日、飛騨からやって来た一人の大工がこの峠を通りかかった。すると突然霧が出てきて、その中に六角のお堂がぼんやりと現れた。よ...…全文を見る

Re: 立花六角堂

投稿者:ゲスト 投稿日時 2015/11/2 11:49
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郡上街道を歩く(22)・・六角地蔵堂(重文)
郡上街道(白山祈りの道)を歩く2014/5/22(木) 午後 3:30
郡上街道を北上します。発電所のある長良川右岸を北上すれば、発電所水路橋などが見られるのですが、立花橋を渡り郡上街道に戻ります。
萬休寺です。臨済宗妙心寺派のお寺です。ここには僧円空がたびたび投宿して修行していたそうで、その際奉納された円空仏薬師如来像が安置されているそうです。
長良川鉄道越美南線を踏み切ります。上を通るのは東海北陸自動車道です。
洲原(注:まだ立花地区)に入りました。街道は新立花橋を渡りトンネルをくぐるのですが、古くは正面の峠を越えていたと思われ、この峠にある「六角地蔵堂」に向かいます。
↑の橋を渡り、トンネル前の道(長良川右岸)を少し左に戻り、右手にある登り口から登ります。東海北陸自動車道高架下まで戻った訳ですから、旧郡上街道は、このあたりで長良川を渡ったのか、あるいは立花橋当たりで渡ったのかもしれません。 
峠の地蔵堂に向かう道ですから、石仏がいくつか祀られています。それだけ村人の信仰が篤かったのでしょうね。村人により道は整備されていますが、結構きつい登りが折れ曲がりながら続きます。そこここに石仏が祀られています。この厳しい坂道(佐ヶ坂)は、地蔵坂とも地蔵峠ともいわれ、郡上街道の要路でした。明治の初めまで人馬も行き交った峠道でした。
峠を登り切った左上に「鹿苑寺六角地蔵堂」が建っています。村の安寧とこの峠道を旅する旅人の安全を守ってきた地蔵堂です。このお堂に安置される地蔵菩薩は、元正天皇の御世の養老3年(719)、泰澄大師(白山を開山したとされる修験僧)が一刀三礼により刻んだものと伝えます。お堂の板額によるば、応長元年(1311)、飛州(飛騨の国)の大工匠頭肥前権守藤原朝臣宗康が再建したと記されているとか。お堂は六角形で、周囲に縁が巡らされ、柱は円柱、屋根は桧皮葺、屋根上に露盤・宝珠がが載せられています。鎌倉時代末期から室町時代初期に建立されたものとされ、国重要文化財となっています。
=コメントより=
ほとんど消えてしまっている郡上街道ですが、ここは峠道だけあってしっかり残っています。地蔵堂までは良く整備された道なのですが、北側(洲原)に降る道は辿る人もないようで、風雨でかなり荒れていました。
郡上街道の原形を残すところです。古くから白山信仰の道でもありました。
麓にある鹿苑寺に属する地蔵堂です。この日は日曜日で、村のお年寄りと若い御夫婦、お子さんたち10人ほどで登拝道・境内の清掃をされていました。
六角地蔵堂には最初から訪ねるつもりでしたが、まさか洲原側に降りれるとは思ってもいませんでした。ですから、行く前は同じ道を引き返し立花トンネルをくぐるつもりでした。
僧円空が投宿していたころの萬休寺は、少し離れたところにあったそうです。越美南線の開通時にここに移ったそうです。六角地蔵堂のある峠道は、旧郡上街道でした。
旅人の安全の為のお助け小屋、これを布施屋とも言ったそうです。私の姓はそれが転じたものだと言われています。1200年前の伝説ですが。
郡上街道を歩く旅人も多かったでしょうから、この地蔵堂で夜露をしのいだ人もいたことでしょう。布施屋→伏屋でしょうか。
http://blogs.yahoo.co.jp/houzan_ky2/11403728.html
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