泰澄(たいちょう、天武天皇11年6月11日(682年7月20日) - 神護景雲元年3月18日(767年4月20日))は、奈良時代の修験道の僧。加賀国(当時越前国)白山を開山したと伝えられる。越の大徳と称された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%B0%E6%BE%84泰澄大師と白山信仰
泰澄大師像 白山本地堂 白山は、泰澄大師(たいちょうだいし、682あるいは691-767)が開いたといわれています。開いたというのは、初めて白山で修験道の修行を行い、白山の神を祀り、それまで素朴な山岳信仰だった白山信仰に、仏教的な意義付けをしたという意味でしょう。
泰澄は越前の人で、高句麗からの亡命帰化人の子であったといいます。伝承によると、奈良時代より少し前の文武天皇の時(702)、鎮護国家法師に任命されています。また、中央の仏教界、政界の有力者などとの密接な関係を持ち、白山信仰を中央にまで広めたといいます。
ところが、そんな偉い人なのに、正式な記録文書には泰澄の名は見えないんだそうです。それで、泰澄は中央との関係が本当は無かったのではないかとも言われています。ひょっとすると、実際の泰澄は中央の仏教界とは無関係の民間の仏教信者、一介の修行僧にすぎなかったのかも知れません。しかし、例えそうだったとしても、泰澄が白山の神をもっとも熱心に説いて回った人であったことの否定にはなりません。
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