県立博物館先生に栃木のまん日の話を聞かせていただきました。

そうめん地蔵 についてのコメント&レビュー投稿
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県立博物館先生に栃木のまん日の話を聞かせていただきました。

投稿者:マルコ 投稿日時 2014/2/15 11:58
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マルコが七駄田の大島三郎さんに『七駄田』のお話を聞かせていただいた折、『栃木県立博物館の篠崎先生は栃木県の民話研究を行っている人だから、紹介してあげるよ』といわれました。

そこで、県立博物館の篠崎先生に2月12日にアポイントメントをとって、お話を聞かせていただきました。

そこで、『そうめん地蔵』の滝尾別所はどうしてなくなってしまったのか?
『地獄めぐり』の覚源上人の寂光寺はどうして焼けてしまったのか?覚源上人は本当にいた人なのか?
『イモ正月』の風習は今も続いているのか?
『千駄塚』の千駄塚古墳について。

そして、栃木県の昔ばなしで「栃木県烏山町」としか表記の無い話の出典など。

いろいろ質問してみました。

そうしたら、私のために1時間半もお時間を割いてくれただけでなく、私の納得するまで、説明をしてくださり、資料を探してみせてくださりました。

篠崎、『そうめん地蔵』の滝尾別所と言うのはお坊さんたちの詰め所のようなもので、どうしてなくなってしまったのかというと時代の流れの中で別所が必要なくなったからだとおもわれます。

Qこの博物館の展示物である中世の日光の絵図には滝尾別所が描かれているので中世のころには別所は存在していたということですね?

篠崎、そうです。

篠崎、『地獄めぐり』は日光の釘抜き念仏が原作になっていると思われます。詳しいことは私もわからないので、歴史科の先生に(今は出払っているので後で)質問しておきます。

寂光寺がなくなったことについては、マルコさんの考える『廃仏毀釈』の影響もあるかもしれませんね。

Q寂光寺も中世の日光絵図に描かれているので、(およそ鎌倉時代から安土桃山時代まで)の時代には寂光寺は存在していたのですね?

篠崎、そうですね。

篠崎、『イモ正月』の風習は今でも鹿沼の草久で行われていますが、ここの地区だけの珍しい風習ではありません。草久は山に挟まれた狭い土地なので作物があまり多く収穫することができませんでした。その時のイモを食べざる終えなかった貧しい生活ことを忘れないようにと、芋の入った雑煮、汁物を正月に食べるようになったそうです。汁物ではなくて、串に刺して焼いたり、『いもかん』にしてたべるそうです。

今では、農業技術が発達して、作物がよく取れるようになったので、正月に芋の入った雑煮を食べる風習はなくなってきているみたいです。

篠崎、『千駄塚』については古墳時代からあった千駄塚古墳に後から昔話ができたのではないでしょうか?

とのこと・・・篠崎先生本当にありがとうございました。
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