姫と白蛇 についてのコメント&レビュー投稿
昔、栃木のある寺の前で、菓子や線香を売って暮らしているお婆さんがおりました。信心深いお婆さんは毎朝、お寺の山門の掃き掃除をしておりました。 ある霧の深い朝のこと、一人...…全文を見る

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投稿者:マルコビッチ 投稿日時 2011/8/3 20:05
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烏山の蛇姫様だ!!
烏山の龍門の滝の近くにある大きな門のあるお寺にお墓があるぞ!!
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投稿者:beniko 投稿日時 2011/8/4 5:03
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書き込みをヒントに、検索してみました。
多分、太平寺かなあと思って、マッピングしました。もし違ったらご指摘下さい。
教えていただきありがとうございました。
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投稿者:マルコビッチ 投稿日時 2011/9/13 18:40
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昔ばなしでの蛇は白蛇なんですが・・・栃木の民話で語られている「蛇姫様」の話では黒蛇なのですよね・・・。
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投稿者:マルコビッチ 投稿日時 2011/11/19 14:13
このお話を題材にして小説家の川口松太郎さんという方が小説を書いて・・・
のちに映画化もされたみたいですよ・・・。

川口 松太郎(かわぐち まつたろう、1899年(明治32年)10月1日 - 1985年(昭和60年)6月9日)は日本の小説家、劇作家、日本芸術院会員、戦後の大映映画の専務。松田昌一の名で映画脚本も手がける。



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投稿者:beniko 投稿日時 2011/11/19 18:36
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好きな話で気になったのでwikipediaで見てきました。蛇姫様、というタイトル(川口 松太郎、1946年)なんですね。映画も同じタイトルで蛇姫様(1959年2月25日(水)公開/1時間36分大映京都/カラーシネマスコープ)とのこと。
http://www.raizofan.net/link4/movie3/hebi.htm
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投稿者:マルコビッチ 投稿日時 2011/12/14 22:52
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この間・・・「犬切り不動」に行った日に「姫と白蛇」の舞台?である太平寺に行ってきました・・・。
太平寺の境内には昔ばなしのお話と同じように蛇姫様のお墓がありました。
(地元の人がお墓を大切に守っているようですよ)
それと・・・蛇に関係しているので蛇に関する品々が飾られているお堂がありました。
(蛇に似た流木や蛇姫様の像とか・・・。)
でも・・・蛇姫様を守って切り殺された女の人のお墓はどこにもありませんでした・・・。

太平寺の近くには龍門の滝という滝があるんですよ!!
滝すぐ近くの「龍門ふるさと民芸館」の中には、滝を見下ろす展望台・パワースポットして人気の龍門洞・この地の民話や伝説などを紹介するコーナーもあります。 無料

ここは結構お勧めします!!
民芸館の中には竜神様がいて民芸館を訪れた人々を歓迎してくれています!!
(昔は活発的に活動していらっしゃったのですが・・・現在は休憩されています)
ユーチューブに動画あったと思いますので見たかったらそちらに・・・。

烏山の民話や伝説などを紹介するコーナーでは声優の緒方賢一さんによる昔話の朗読の
ビデオを見ることが出来ます・・・。

烏山ならではの民芸品や野菜なども販売していますよ!!

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投稿者:マルコ 投稿日時 2012/7/14 8:16
いつもいつもあらすじをありがとうございます。
栃木でもこのお話は結構有名ですよ。だって栃木で発売されたJRのオレンジカードに蛇姫様のお話が載るくらいですから。
あと・・・この話を題材にして書かれた小説「蛇姫様」や映画もあるんですから!!

この話の舞台となった太平寺は803年に坂上田村麻呂が蝦夷征伐の折、逆賊調伏の祈願のため、千手観音菩薩を安置して大願成就を祈って堂宇を建立したと言われています。
太平寺は歴代烏山城主の信仰があつく、境内には2代城主大久保忠胤の四女於志賀(川口松太郎の小説「蛇姫様」のモデルとなった姫)の墓などがあります。

蛇姫様のお墓は地域の人が大切に守ってくれているおかげで今もあります。
マルコが現地に行って撮影した写真があるので見てくださいね!!
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投稿者:もみじ 投稿日時 2012/7/15 0:52
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マルコさんへ。
写真見ました(^^)
この蛇姫様の小説、ざっと調べてみましたが、これは読んでみたいですね~。
面白そうです(*´∀`*)♪
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投稿者:マルコ 投稿日時 2012/12/29 8:26
 烏山三万石、大久保佐渡守は病床にあり、継嗣小太郎も病弱なのをもっけと、国家老佐伯左衛門は、藩政を壟断、御禁制の密貿易に手を出し私腹をこやす一方、お家乗っ取りの秘策をねっていた。この佐伯左衛門の圧政を見るに見かねた息女琴姫は、突然国入り、左衛門を詰問したが、その弁舌に要領をえない。琴姫の身を案ずる佐渡守は忠臣植原一刀斎を急行させ、蔭ながら姫の身の安泰と、左衛門の陰謀を探らせた。城中はさながら敵中の感ある中にあって、琴姫を慰めてくれるのは、烏山の名物ひのき屋の娘で横笛の名手おすがと、誠忠の臣新免重時であった。

 姫から一日の宿下りを願ったおすがは。兄千太郎と愛用の笛をかなでた。その時、日頃から酒癖の悪い家老の倅彦次郎が取巻き連中とやって来ていた。笛の音におすがの宿下りを知った彦次郎は執拗に酌を求めたが、酒癖の悪いのを知っている父米五郎は口実を設けて拒んだ。逆上した彦次郎は理不尽にも米五郎に一刀を浴びせた。この騒ぎに駈けつけた千太郎は、彦次郎の非を詰ったが彦次郎の耳には入らず、逆に千太郎に襲いかかる。だが町人ながらも植原一刀斎から免許を与えられている千太郎にはかなわず、逆に斬り伏せられてしまった。家老の倅を斬ってはただではすまない。重傷の米五郎、おすがに見送られて、千太郎は闇の中に姿を消した。

 彦次郎らの負傷に憤った左衛門は、直ちに千太郎の跡を追わせた。厳重な警戒網をかいくぐり千太郎は、十蔵一座の旅役者たちにかくまわれた。下座を勤めるお島は、いわくあり気な様子の千太郎に、すべてを忘れ尽した。座頭十蔵はかって烏山での千太郎と顔馴染、一座の好意に甘え、千太郎は行を共にすることになった。旅のつれづれ千太郎も一役買い、今では十三郎と名乗る旅役者になり、一座になくてはならぬ存在となった。

 一方、烏山城では、ますます佐伯左衛門の悪虐はつのり、琴姫の身辺にすら危険が迫って来た。左衛門と気脈を通じた腰元楓が姫の毒殺をはかったが、おすがの気転で難を免がれた。姫は事態の猶予ならぬに気付き、おすがに一書をもたせて、城下にひそんでいる植原一刀斎への連絡に当らせた。だが、これが彦次郎の手の者に発見され、哀れにもおすがは殺害された。文箱を奪わんとする彦次郎に不気味な烏蛇が鎌首をもたげた。ここへ一足おそく一刀斎が駈けつけ、おすがの無残な姿を発見した。

 その頃、彦次郎らはひのき屋を急襲、火を放って米五郎をも殺害してしまった。千太郎の一刀を浴びて不気味な容貌になった彦次郎のひきつった顔は、復讐の喜びにひたっていた。

 おすがの無事を祈る琴姫の前に、こつぜんと現れたのはその亡霊であった。アッ、と驚く琴姫の前に、その化身か妖しかの烏蛇がとぐろを巻き、じっと姫をみつめている。琴姫は直ちに佐伯左衛門を究明したが、左衛門はぬけぬけと言い抜け、おすが、米五郎に非があったため斬り殺したのだと言いはり、今後、国政にいらざる口出しは無用ときめつけた。左衛門は、城下にひそんで探索をつづけている一刀斎逮捕に躍起となったが、その姿は杳としてみつからない。

 当の一刀斎は三斗蒔山で密貿易用の陶器製造場付近に現われた。厳重な警戒で容易には近づけない。しかし、何かの手掛かりでもと、一刀斎は目をつけていた。そこへ、人夫として入りこんでいた幕府の隠密が報告書を携えて脱出してくるのにぶつかった。もしこの密貿易が明らかになれば、烏山三万石はお取潰しになることは必定。一刀斎は必死になって、これを阻んだ。
投票数:33 平均点:10.00

投稿者:マルコ 投稿日時 2012/12/29 8:27
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夢見に米五郎、おすがの無残な姿を見た千太郎の胸は、不安におののいた。何としても烏山に行きたい。千太郎はとりすがるお島の手をふりきって一座から別れようと決意した。だが今では一座にかけがえのない存在となっている彼に脱けられては、一座は芝居をうつことも出来ない。十蔵は一座の予定をかえ、烏山へ向うことで千太郎の同意をえた。千太郎にしても彦次郎らの手前、ぬけぬけと烏山へ足を入れることも出来ない。役者に身を変じていることが、もっけの幸いである。十蔵一座は千太郎の水もしたたる二枚目が評判を呼び連日大入りをつづけながら烏山に入った。そこで耳にしたのは、米五郎、おすがが琴姫の手にかかって果てたということである。千太郎は悲憤に涙した。日頃妹があれほど親しくしていた琴姫がどうしたというのだろう。主筋の姫といえど、そのままにすませてはおくものか、千太郎は復讐を固く心に決した。

 涙かくした千太郎の舞台は、烏山でも大評判。たまたま宿下りした腰元の一人から、十三郎の面差しが、おすがにそっくり、との話を耳にした琴姫は無性に十三郎に会いたがった。姫の無聊を慰めるのに躍起の新免重時は、直ちに十蔵と交渉、城中で姫君に観劇させることになった。

 時至る。千太郎は短刀をひそませ城中に入り、姫の御前で一心に芝居をした。琴姫もその噂のたがわぬのを目前にし、今更のようにおすがを偲んだ。その時荒々しく駈けつけて来た左衛門は、河原乞食を城中に入るるなどもっての他ときめつけ、姫の無法を詰った。事の急変に、千太郎は慌しく城中を脱出した。このことが因となり琴姫は江戸へ送りかえされ、幕命をもって京極寛次郎との縁談がとりきめられた。

 千太郎はお島と共に姫の跡を追って江戸へ、大久保下屋敷で、笛が縁で偶然にも姫に近付き、今しも一念を晴らさんとした時、千太郎の目に映ったのは、おすがの化身である烏蛇。姫から一部始終を聞いた千太郎は左衛門の悪辣さに眦を決した。姫のためにも、烏山の庶民のためにもこれ以上、左衛門らを放置出来ない。千太郎は直ちに烏山へ。

 煙たい存在であった琴姫を追い返し我がことなれりと喜んだ佐伯左衛門は、長崎奉行との連絡から帰ってきた長男一郎右衛門を中心に最後の計画を練っていた。そこへ一両日中に琴姫国入りの報が入った。莞爾とした左衛門は、この時こそ姫君を亡きものにせんと、彦次郎に策を与えた。

 那珈川まで出迎えた左衛門は、何喰わぬ顔で姫に挨拶し、渡し船へと導いた。その時、船中から姿を現わしたのは、船頭に姿を変えていた千太郎。千太郎は左衛門らが、この船底に仕掛けをし川の真只中で姫を葬り去ろうという陰謀をあばき父と妹の仇と必死に立向った。左衛門もここまで手の内を知られてはこのままには出来ない。一挙に姫もろとも亡きものにせんと攻めたててきた。千太郎、新免らは姫を守って必死。そこへ、一刀斎を先頭に、三斗蒔山に幽閉されていた職人がどっと駆けつけて来た。一刀斎の鋭い太刀風に、左衛門、彦次郎らは一たまりもなく倒された。

 かくて、さしもの左衛門悪虐も一掃、烏山城には春が蘇った。

 京極寛次郎へ輿入れの琴姫の行列を送って、千太郎お島の一座が賑々しく道中を続ける。手をふる千太郎に、駕籠の中から琴姫が感謝に濡れた瞳を向けている。( 公開当時のパンフレットより )
投票数:37 平均点:10.00

投稿者:マルコ 投稿日時 2013/2/2 15:19
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那珂川に注ぐ江川にかかる、高さ約20メートル幅約65メートルのケスタ地層に形成された滝
です。
滝の中段には、男釜(おがま)、女釜(めがま)と呼ばれる二つの縦穴があります。
男釜は直径約4メートル、女釜は直径約2メートルあり、見事なほどの丸さです。
またこの龍門の滝には大蛇伝説があり、以下その内容となります。

『男釜には得体の知れないそれはもう"物凄い主"が住んでると言う噂が流れはじめ、
滝のすぐ近くにある太平寺・53代和尚の耳にも伝わりました。
ならばその"物凄い主"の正体を突き止めようと言う事になり、
和尚は滝の上の大岩に祭壇を作り、三七・21日間、祈り続けました。
その21日目の満願の夕方、突如天が真っ黒な雲に覆われ、とてつもない稲妻と大粒の雨が降り、
大豪雨になってまもなく、滝壺の水が巻き立った瞬間、男釜から勢いよく大蛇が現れました。
その大きさは半端ではなく、男釜ぎりぎりの蛇頭で、
口から炎を吹きながらどんどん出てきて太平寺の方へ進んで行きました。
大蛇は太平寺の仁王門の屋根に巻きはじめ、
ぐるぐると七巻き半し、棟に鎌首を起きました。
祭壇でその光景を見ていた和尚が、男釜に目を向けると、
大蛇の胴体はまだ出ききれていませんでした。
その出来事以来、
この滝を龍門の滝と呼ぶようにしました。

龍門ふるさと民芸館のすぐ横に、龍門の滝を間近で見られる遊歩道があります。
また、水量が多くない時には、中洲に渡れるので、さらに近づく事ができます。
<龍門ふるさと民芸館ホームページより>

このお話の原作の本に「おばあさんがこの龍門の滝に願い事を書いた紙を流すと、願い事が叶うようになりました。」みたいな事が書いてあったので、「太平寺」に来た時は是非「龍門の滝」にも足を運んでみてください。

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投稿者:ゲスト 投稿日時 2013/2/11 7:02
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泉渓寺の仮本堂はもともと、蛇姫様のお部屋を移したもので、床下には、姫を守る白蛇がいたらしいですよ・・・。

泉渓寺概要: 泉渓寺の創建は延文5年(1360)源翁禅師が開山したと伝えられています。元中2年(1385)源翁禅師は、那須野ヶ原の殺傷石が悪さをし大きな被害を与えていた事を聞き及び朝廷からの勅命を受けこれを鎮めました。この功により後小松天皇の勅願所となり大寂院の勅額を賜り、勅使門を建立しました。その後、永正11年(1514)に下境から中央一丁目に移り、延宝3年(1675)に現在地に移っています。

泉渓寺の文化財
 ・ 泉渓寺勅使門 - 那須烏山市指定有形文化財
 ・ 勅額(大寂院) - 那須烏山市指定有形文化財
 ・ 源翁和尚坐像 - 那須烏山市指定有形文化財

名称泉渓寺 (センケイジ) .所在地〒321-0628
栃木県那須烏山市金井1-12-5 MAP
TEL:0287-82-2876 .その他情報創建年代 :1360
.お問合わせ0287-82-2876
投票数:34 平均点:10.00

投稿者:マルコ 投稿日時 2013/2/15 21:50
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観光情報誌より引用

応永25年(1418)那須資氏の二男沢村資重の築城。以来、那須氏八氏が居城した。那須氏八代資晴の時、小田原参戦に遅れたため、秀吉の怒りを買って没落。その後、織田信長の二男信雄が2万石で配流、常心と号した。成田氏長、松下重綱、堀親良、板倉重矩らが次々に交代し、一時那須氏も返り咲いている。藩政期は譜代小大名の封地であった。◎織田信雄(1558~1630)織田信長の次男。1590年小田原の役の後、旧尾張・伊勢を望んで豊臣秀吉の怒りにふれ、下野国烏山に配流される。武将というよりも、茶の湯・和歌・舞・音楽などに巧みな風流人として知られる。

名称烏山城跡 (カラスヤマジョウセキ) .所在地〒321-0631
栃木県那須烏山市城山
.その他情報時代 :1418
.お問合わせ0287-88-6223
投票数:37 平均点:10.00

投稿者:マルコ 投稿日時 2013/8/12 14:48
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美空ひばりさんの歌に『蛇姫様』って歌があるんですが、その歌が「姫と白蛇」に登場する蛇姫様と蛇に姿を変えた侍女のおすがさんのことをうたった歌なんだそうです。栃木県民として今まで知りませんでした!!

「蛇姫様」
作詞・石本美由起
作曲・古賀政男
歌・美空ひばり

お城櫓に出る月は、誰の涙で潤むやら 花の御殿の姫様暮らし、心許せる人もない。

隠す涙が分かるなら、ふるな寂しい山しぐれ。

笛に心を誘われながら、弾けば琴さえ泣いている。

「すが」は死んでも、幻は、そばを離れず生きている。

噂悲しや、蛇姫様と、何を騒ぐか小夜嵐。

ひばりさんの「蛇姫様」を聴きたい方はこちらへ
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=sPpMISejNTM

蛇姫様の事をいろいろ調べていて分かったんですけど、まんが日本昔ばなしの蛇姫様と実際の蛇姫様は微妙に異なっているんですよね・・・。
投票数:37 平均点:10.00

投稿者:マルコ 投稿日時 2013/11/20 18:35
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姫と白蛇の山田みちしろさんはどんな方なのか気になったので調べてみました。
山田 みちしろ(本名:山田 道代、やまだ-、1949年 - )は、亜細亜堂に所属する日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナーである。


Aプロダクション(現・シンエイ動画)では『元祖天才バカボン』、『ガンバの冒険』などの原動画を担当する。亜細亜堂には設立時より参加し『フクちゃん』、『燃える!お兄さん』、『ぼのぼの』などでキャラクターデザイン、作画監督を務める。子供向け低等身のキャラクターを得意にしているベテランアニメーターの一人で、芝山努と小林治が実質的に経営の方に専念している中、社内のアニメーターを纏める中心的な役割を担っている。亜細亜堂の柱である「ファミリー向け」作品の信頼性やクオリティは山田の腕によるところが大きいと言える。

このお話は栃木でも有名なお話なので、道城さんにお会いできたら、まんが日本昔ばなしのお仕事をなさっていた時のこと色々と聞いてみたいですね・・・。
投票数:38 平均点:10.00

投稿者:マルコ 投稿日時 2014/1/23 15:46
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栃木県出身のマルコでさえ知らなかった映画「蛇姫様」について。  

1959年2月25日(水)公開/1時間36分大映京都/カラーシネマスコープ

併映:「からくり雛人形」(西沢宣匠/島田竜三・岸正子)

製作 三浦信夫
企画 浅井昭三郎
監督 渡辺邦男
原作 川口松太郎
脚本 渡辺邦男
撮影 渡辺孝
美術 上里義三
照明 伊藤貞一
録音 大角正夫
音楽 山田栄一
助監督 西山正輝
スチール 西地正満

出演
嵯峨三智子(琴姫)、近藤美恵子(お島)、中村玉緒(おすが)、林成年(新免重時)、黒川弥太郎(植原一刀斎)、河津清三郎(佐伯左エ門)、舟木洋一(大久保小太郎)、和泉千太郎(佐伯一郎右エ門)、浜世津子(腰元楓)、本郷秀雄(与助)、竜崎一郎(隠密山本)、荒木忍(米五郎)、香川良介(大久保佐渡守)、田崎潤(京極寛次郎)

惹句
『舞台姿で悩ませて、若衆姿で斬りまくる 颯爽雷蔵の魅力のすべてを結集した豪華時代劇!』『歌に、小説に、芝居に、放送に、満天下を唸らせた恋と復讐の痛快物語、最高の適役で映画化』


『蛇姫様』
 野州烏山三万石大久保家のお家騒動に巻き込まれ、お家乗っ取りを図る悪家老のために父も妹すがをも殺された千太郎は、町人ながら免許皆伝の腕を持つ剣の達人。復讐を誓った千太郎は旅役者市川十蔵一座にかくまわれ、旅役者に姿を変え三味線弾きお島の手引きで仇を討とうとする。一方、すがの化身である烏蛇は、大久保家を守ろうと必死の琴姫の身辺を守護するかのように姫のそばを離れない。果たして、千太郎はめでたく敵を討つことができるのか、大久保家の行く末は・・・。

 川口松太郎原作『蛇姫様』は、1939~40年(昭和14~15)「大阪毎日」「東京日日新聞」に連載された。戦前戦後を通じて何度も映画化され、人気を誇り1959年(昭和34)栃木県烏山町に「梅雨くらく蛇姫様の来る夜かな」の文学碑が建立されたくらいである。

『蛇姫様』
 昔、烏山小町といわれた、ひのき屋の一人娘「すが」は、大久保家三万石の御城内新御殿に住む琴姫様に仕えていた。
 その頃、家老の佐伯左衛門は城主佐渡守の留守をよいことにして、私腹を肥やすため密貿易などを企んでいた。この事は江戸幕府にも知られ隠密が烏山城下に入って来た上に、小田原の御本家でもこれを案じて、植原一刀斉と言う剣客を烏山へ遣わしてその動勢を深らせていた。琴姫もこのことを心配しながら、父佐渡守の留守を守っていた。
 ある夜、姫はひのき屋に待っている植原一刀斉に大事な密書を「すが」に届けるよう命じた。「すが」は大切なお使いをわざわざ一人で、夜更けのお城を裏から抜け出し間道伝いに誰にも見つからないようにと、繁った木々を潜りながら山をおりて来た。家老の佐伯は自分の悪事を隠すために琴姫を監視したり、お城の内外に見張りをつけていた。その夜も倅源之助に見張らせていた。そこへ「すが」がおりて来たので遂に見つけられてしまった。
 源之助は「誰だ!どこへ行くッ、お前の持っているものは何だ。それを渡せッ。」とどなりながら、抜いた刀で切りつけて来た。「すが」は肩のあたりを切られてそこに倒れてしまった。倒れても姫に頼まれた密書は絶対に離さない。源之助はそれを無理矢無にもぎとろうとした。するとその文箱に何か巻きついている?まっ黒い蛇だ。密書を取ろうとする源之助の手にその蛇がぬるぬると渡って来て、その腕に突然咬みついた。蛇は猛毒を持つ烏蛇だった。咬まれた源之助は、刺すような痛みに怯んで倒れたがそれと同時に「すが」の息も絶えてしまった。
 集って来た家来たちに密書は奪われ、悪家老佐伯の手に渡ってしまった。城中の琴姫は深夜眠らずに「すが」の帰りを待ちわびていたが、姫がうとうととまどろんだ時、血にまみれて青白い顔の「すが」の姿が姫の前に・・・思わず姫は「すがッ」と叫んだ。その姿が消えた部屋の隅に、小さな黒い蛇が、じっと姫の顔を見上げていた。 
 それからと言うものは、姫の身辺に何時も一匹の烏蛇が見えがくれについていて、姫の身に危急が起ると必ずその蛇に助けられると言うことが度々だった。姫を思う「すが」の化身である烏蛇に守られている琴姫のことを誰言うとなく「蛇姫様」と呼ぶようになった。姫は、植原一刀斉や「すが」の兄千太郎たちの命がけの協力で、遂に悪家老佐伯左衛門一味を亡ぼすことができ、大久保家の安泰を成し遂げた。
(烏山観光協会パンフレットより)
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