Re: 雪姫・紅葉姫 落城伝説の類推

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Re: 雪姫・紅葉姫 落城伝説の類推

投稿者:ゲスト 投稿日時 2015/10/6 14:37
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勝山城 =氏家氏誕生の地=

宇都宮朝綱の子の公頼が下野国の氏家郷に土着して本貫とし氏家姓を名乗ったのが始まりといわれる。しかし、紀氏を出自とする氏家公幹(長元元年(1028年)生 - 永長元年(1096年)1月11日没)が創始した氏家氏を公頼が継いだとする説もある。

紀姓氏家氏養子説
公頼を宇都宮朝綱の子(末男と記す)とする点においては、宇都宮氏出自説とは変わらないが、公頼を氏家氏の創始とはせず、紀姓氏家氏の四代目氏家公広の養子となり、氏家氏を継いだとする。この場合の氏家氏の創始は、氏家公幹(長元元年(1028年)生 - 永長元年(1096年)1月11日没)とし、公幹を紀氏の出自であるとする。七郎と名乗り、始めは公重、次に公頼、次に公綱と名乗り、官途は従五位下美作守であった。


氏家氏は宇都宮公頼から6代目綱元で途絶えてしまう。
その後、芳賀高家の子高清が勝山城主となった。



氏家氏から芳賀氏へと勝山城城主は変わっていった。
その時に何らかの悲劇があったのかもしれない。
平和な城主変更ならば養子を取り家名を残すことを第一にするはずです。
それが出来なかったこと事態、当時の混乱を感じとれます。
このお話もあながち架空ではなく、時代の古い事実を元にしているかもしれません。だからこそ「雪姫・紅葉姫」の悲劇も語り継がれたものと考えます。
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