歴史にはあまり詳しくないのですが、元埼玉県民ということでマルコさんの質問にお答えします。
江戸時代中期まで、今の埼玉県さいたま市の東に、見沼と呼ばれる大きな沼が存在しました。この沼がどうして江戸中期に消えたかと言うと、新田開発のため干拓されてしまったからです。
時代は八代将軍徳川吉宗の世、幕府の財政を立て直すため、享保の改革で各地に新田が開墾されました。見沼の干拓もそうした事業の一つです。徳川吉宗は、紀州から治水工事の達人、井沢弥惣兵衛(いざわやそべえ)を呼び干拓工事の指揮を命じます。
沼を干拓して田んぼにする訳ですから、田んぼに供給する水をどこからか引かなければなりません。そこで出て来るのが、マルコさんご指摘の灌漑用水です。井沢弥惣兵衛は、干拓と並行して利根川から水を引く灌漑用水の工事に取り掛かります。こうして出来たのが見沼代用水で、工事は1728年に完了したそうです。
参考までにウィキペディアのページを貼っておきます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%8B%E6%B2%BChttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%8B%E6%B2%BC%E4%BB%A3%E7%94%A8%E6%B0%B4時代背景についてですが、アニメではまだ見沼が残っているので、1728年以前ということになりますね。私も、江戸時代初期から中期あたりの話だと思います。それ以前だと、まだ江戸はそんなに栄えていません。もちろん、浅草寺の周辺などは中世から街があったようですが、やはり江戸が栄えるのは徳川家康以降なので。
以上拙い説明でしたが参考になりましたら幸いです。