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No.1457
ちちのやくしさま
乳の薬師さま
高ヒット
放送回:0939-B  放送日:1994年06月25日(平成06年06月25日)
演出:河内日出夫  文芸:沖島勲  美術:千葉秀雄  作画:河内日出夫
愛知県 ) 21537hit
あらすじ

昔、尾張の愛知郡のある村に、乳が出なくて困っている「おさよ」とその夫がいた。

おさよの姉夫婦が病気で両方とも死んでしまい、残された赤ん坊をおさよ夫婦が引き取っていたのだが、子供を産んでいないおさよからは乳は出なかった。仕方なく赤ん坊にはおかゆなどを食べさせていたが、まだまだ乳が必要な小さな赤ん坊は日に日に痩せていった。

困り果てたおさよは、身体の願いなら何でも叶うという名古屋の東光寺の薬師様へお参りに行くことにした。東光寺までの道のりは遠く、いくつも峠を越えなければならなかったが、おさよは真夜中に毎日毎日通い続けた。

満願である二十一日目、おさよが薬師様に精根こめてお願いすると、自分の乳房がみるみる張ってくるのを感じた。大急ぎで家に帰ったおさよが、赤ん坊に自分の乳をしゃぶらせると沢山の乳が出て、赤ん坊は死を免れることができた。おさよ夫婦はお薬師様にいつまでも感謝した。

(紅子 2011-11-8 3:35)


ナレーション常田富士男
出典小島勝彦(未来社刊)より
出典詳細尾張の民話(日本の民話66),小島勝彦,未来社,1978年05月10日,原題「乳花薬師」,採録地「名古屋市」,話者「近藤サミ」,採集「富田和子」
場所について名古屋の東光寺(海上寺、乳花薬師如来)
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地図:名古屋の東光寺(海上寺、乳花薬師如来)
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※掲載情報は 2011/11/8 3:35 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
10件表示 (全19件)
Perenna  投稿日時 2020/8/28 2:43
今現在、名古屋の乳花薬師として有名なのは、瑞穂区直来町にある海上寺らしいです。
ですがこのお寺は、もともとは「粟薬師」と称されており、乳花薬師とは関係がなかったのではないかと思われます。
大正12年に出版された「愛知郡誌」によれば、龍王山海上寺について、次のように書かれています。(コマ番号362/532)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978638/317?tocOpened=1

「龍王山海上寺
呼続町大字瑞穂字奥の坊に在り、境内一千五坪。真言宗にして紀州高野山弥勒院末なり、創建年月詳かならず、薬師仏(弘法大師の作)を本尊とす、霊験著しとて来訪するもの多し、賽拝必ず粟を供す、依て俗に粟薬師と称す。」

少なくとも大正時代の頃には、海上寺は粟薬師と呼ばれていましたが、乳花薬師として尊崇されていたわけではなさそうです。
愛知県の「乳の薬師さま」については、文献を調べれば調べるほど、その真実についてよくわからないという印象を受けますね。
Perenna  投稿日時 2020/8/27 23:38
江戸時代に出版された「尾張名所図会」によれば、愛知郡の東光寺について次のように書かれています。(コマ番号117/355)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/959911

「医王山東光寺
広井横三ツ蔵御園町の西の南側にありて、真言宗、天王坊末。
本尊 薬師の銅像。茅針野薬師と称せしを、世俗いつしか乳花のやくしと心得呼びならはせしより、産婦乳の出でかぬるに、此薬師如来に絵馬などかかげていのれば、しるしありて霊応著じるきも・・・」

この記述は、岐阜県の東光寺と混同していませんか?
戦前に実在した名古屋市中区の東光寺は日蓮宗の寺で、本尊は釈迦牟尼仏坐像と書かれています。
「尾張の民話」の話者は「尾張名所図会」の記述をもとに、この「乳花薬師」の民話を創作したとも考えられますが・・・
この謎をどのように解いたらよいのでしょうか?
Perenna  投稿日時 2020/8/26 23:57
> 乳信仰を研究している小児科医さま

「尾張の民話」に収録されている「乳花薬師」(名古屋市)は、なんとなく話者の方が創作したようなもののように思えます。
おそらく、他地域に伝わる似たような民話や昔話を、ご自分のお住いの地域の寺やゆかりのある寺に仮託・付会したものではないでしょうか?
その証拠に、大正時代に出版された「名古屋市史・社寺編」によれば、東伏見町二丁目にあった東光寺の御本尊は「釈迦牟尼仏坐像、脇士同七面立像、同妙見坐像」と書かれています。
薬師如来にまつわる伝説は、もともとなかったのではないかと思われます。(コマ番号531/583)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950889/233?tocOpened=1

「尾張の民話」では、東光寺の所在地は「横三つ蔵、御園筋と仲ノ町の間」と書かれています。
東光寺は東伏見町(現在の栄一丁目、二丁目)にあったそうなので、現在地では御園通と中ノ町通に挟まれた仲ノ町公園(名古屋市中区栄1丁目27)が跡地ではないでしょうか?
またアニメの「おさよ」という名前は、福島県会津高田にある法用寺の子安地蔵のヒロインの名前がモデルになっていると思います。
乳信仰を研究している小児科医  投稿日時 2020/8/26 17:06
岐阜県揖斐郡揖斐川町小野135に東光寺という寺院があります。最澄伝教大師が開祖で、ご本尊薬師瑠璃光如来は昔から乳薬師と言われ、産後乳の少ない婦女子がこの薬師にお参りをし甘露のような霊乳を授かったという言い伝えがあるとのこと。今は「東光寺の乳薬師」といえば、こちらの方がヒットするようです。
http://www.nisimino.com/nishimino33reijyou/jouhou/06.html
同じ名前のものが、岐阜と愛知2箇所にあったと考えることもできると思います。


Perenna  投稿日時 2020/8/25 23:51
未来社の「尾張の民話」には、東光寺の場所について次のように書かれています。
「横三つ蔵、御園筋と仲ノ町の間に、東光寺というお寺があって、そこのお薬師さまにお願いすると、からだの願いなど、何でもかなうということだ。」
横三つ蔵、御園筋、仲ノ町というのは、戦前の名古屋市中区にあった地名です。
昭和19年に出版された「名古屋市中区史」によれば、東光寺は日蓮宗の寺で、南伏見町にあったと書かれています。(コマ番号229/451)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1042158/410?tocOpened=1

民話では主人公の名前は書かれておらず、「女は、さっそくお参りに行くことにした。が、女の家から御園筋までは、かなりの道のりだ。途中には、坂もあるし、さみしい原っぱもある。」と書かれています。
「いくつも峠を越えた」とあるのは、アニメの演出や脚色ではないでしょうか?
おそらくヒロインは、名古屋市郊外の愛知郡の村に住んでいたと思われます。
Perenna  投稿日時 2020/4/7 23:57
この昔話と似たような話が「福島の民話・第二集」(未来社、片平幸三編)にも収録されています。
「乳のでる泉」という題で、主人公の女性の名前は「おさよ」という人です。
「大沼郡の会津高田の町に、法用寺という寺があり、そこに子安地蔵とよばれる地蔵さまがあります。そのそばに霊妙乳鉱泉とよばれる泉がわき出ています。乳のでないおかあさんが、ここの水をのむと、不思議によく出るようになるといわれています。」という書き出しで始まっています。
南会津から貧しい百姓の家に嫁にきたおさよさんに、かわいい男の子が生まれます。
しかし、乳の出が悪くなり、赤ん坊は日に日にやせ衰えていきます。
おさよさんは山の上の地蔵様に三七、ニ十一日のお参りをすることになり、毎晩暗い道をはだしでかよい続けました。
満願の二十一日の晩には、さすがに心配と疲労で、地蔵様の前にばったりと倒れて気を失ってしまいました。
すると地蔵様のお告げがあり、「このやぶのかげに白い水のわく泉がある。これを毎日くんで帰ってご飯をたき、これをわかして汁を作り、三十日間ためしてみよ」と言われます。
こうして乳色の泉の水をくんでためしたところ、三十日後には乳が出るようになり、子供も元気に成長しました。」
以下は、法用寺の子安地蔵のホームページです。
http://www.o-minwa.net/siseki_densetu/63_02aidutakada_koan/63_02aidutakada_koan.html

ヒロインの名前も同じ「おさよ」ですし、名古屋の東光寺の薬師様とはどのような関係があるのでしょうかね?
頭方  投稿日時 2018/12/20 17:06
河内作品、最終作。なんか雰囲気としては十四年前の「夜泣き石」に近いかも。
ゲスト  投稿日時 2018/8/16 15:26
おさよさんのお詣りは素晴らしいのですが、深夜の連日のお詣りなんて体調不良になったりしないか、と思ってました。
ご利益はありがたいですが、人体の不思議というのはあるものですね。
調べたら、赤ちゃんを見ると、妊娠してないのに原因不明の母乳が出る人もいるそうです。
ゲスト  投稿日時 2017/12/2 0:15
当時は人口も少なかったからたまたま近くにいなかったのかもしれないし、農家が簡単に家や土地を捨てるなんて難しかったのかもよ…
ゲスト  投稿日時 2017/3/25 4:02 | 最終変更
当時は農業が主な産業(=生計を賄ってる田んぼや畑があるため土地を離れられない)+時代によっては働き手の流出防止のために政府が農民の移動を制限してたから、現代の感覚より引っ越しって不可能に近い。
今は隣県に行くだけなら、何も許可なんかいらないけど、昔は今で言うパスポートもって申請書書いて、お上に許可(通行手形)もらわなきゃいけなかったような時代だよ。

お参りは正当な理由になるから、まだ許可は出るだろうけど、引っ越しなんて許可出なかったろうな。
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