今現在、名古屋の乳花薬師として有名なのは、瑞穂区直来町にある海上寺らしいです。
ですがこのお寺は、もともとは「粟薬師」と称されており、乳花薬師とは関係がなかったのではないかと思われます。
大正12年に出版された「愛知郡誌」によれば、龍王山海上寺について、次のように書かれています。(コマ番号362/532)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978638/317?tocOpened=1「龍王山海上寺
呼続町大字瑞穂字奥の坊に在り、境内一千五坪。真言宗にして紀州高野山弥勒院末なり、創建年月詳かならず、薬師仏(弘法大師の作)を本尊とす、霊験著しとて来訪するもの多し、賽拝必ず粟を供す、依て俗に粟薬師と称す。」
少なくとも大正時代の頃には、海上寺は粟薬師と呼ばれていましたが、乳花薬師として尊崇されていたわけではなさそうです。
愛知県の「乳の薬師さま」については、文献を調べれば調べるほど、その真実についてよくわからないという印象を受けますね。