江戸時代に出版された「尾張名所図会」によれば、愛知郡の東光寺について次のように書かれています。(コマ番号117/355)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/959911「医王山東光寺
広井横三ツ蔵御園町の西の南側にありて、真言宗、天王坊末。
本尊 薬師の銅像。茅針野薬師と称せしを、世俗いつしか乳花のやくしと心得呼びならはせしより、産婦乳の出でかぬるに、此薬師如来に絵馬などかかげていのれば、しるしありて霊応著じるきも・・・」
この記述は、岐阜県の東光寺と混同していませんか?
戦前に実在した名古屋市中区の東光寺は日蓮宗の寺で、本尊は釈迦牟尼仏坐像と書かれています。
「尾張の民話」の話者は「尾張名所図会」の記述をもとに、この「乳花薬師」の民話を創作したとも考えられますが・・・
この謎をどのように解いたらよいのでしょうか?