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No.0145
みがわりかんのん
身がわり観音

放送回:0089-B  放送日:1977年06月18日(昭和52年06月18日)
演出:小林三男  文芸:沖島勲  美術:青木稔  作画:白梅進
岡山県 ) 10679hit
時を越えて読経で共鳴し合う観音様の話

昔、備中国中津井(なかつい)の蝋燭売りの女が鳥取県の根雨(ねう)の旅籠に泊まった時の事。夜更けに隣の部屋から何やら読経の声が聞こえてくるので、隣の部屋の男へ声をかけてみると読経を上げているのは男が持っている観音様であり、その顔は盗まれた「中津井の観音様」にそっくりであった。中津井の観音様にはこんな話があるという。

昔、中津井の村に庄作爺さんという齢七十になる老人がいた。庄作爺さんは村の外れのいもが丘に建っている十一面観音を拝む事を日課にしており、村は貧しかったが観音様のおかげで人々の心は豊かであった。しかし平和な村にも戦の波が押し寄せてくるようになり、とうとうある日、宇喜多と尼子の軍勢数千騎が斉田城を目指し真夜中の村を戦火を交えながら通り過ぎていった。村が焼け野原になった上、いもが丘の観音様も野党に盗まれてしまい庄作爺さんは深く悲しんだが、ある時村人の前から姿を消してしまう。

ところが庄作爺さんは納屋に閉じ籠って観音様を彫っていたのであり、ろくに何も食べずに彫り続けて数十日目かの朝、ついに観音様は彫り上がるが同時に庄作爺さんも息絶えてしまった。半年ぶりにいもが丘の庵に観音様を迎えた村人はこの観音様を「身がわり観音」と呼んだ。やがて一年が過ぎ、村人が庄作爺さんを偲んでいもが丘に集まった時の事、庵の中から読経の声がするので村人が振り仰ぐとそれは身がわり観音から聞こえてくるのであった。

そして隣の部屋の観音様の読経も、身がわり観音の読経とそっくりなのだと蝋燭売りの女は言う。隣の部屋の男も、実はこの観音様は村の者がどこかの戦の折に盗んできた物であり、夜になると読経を上げて恐ろしいので元の場所に返してきて欲しいと頼まれていたと言う。盗まれてから二十年経った今でも観音様同士で呼び合っていたのだろうと蝋燭売りの女は思い、こうして二十年ぶりに中津井の観音様はいもが丘の庵に戻る事になり、庄作爺さんの身がわり観音と共に中津井の村を見守っているという。

(投稿者: お伽切草 投稿日時 2012-1-13 13:31 )


ナレーション市原悦子
出典稲田浩二(未来社刊)より
出典詳細岡山の民話(日本の民話36),稲田浩二,未来社,1964年03月15日,原題「身がわり観音」,採録地「上房郡」
場所について備中の中津井(地図は適当)
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地図:備中の中津井(地図は適当)
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※掲載情報は 2012/1/13 15:49 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
8件表示 (全8件)
ゲスト  投稿日時 2016/5/3 14:11
十一面観音様のいらっしゃる古寺。旧 中津井村を含んでいた旧 北房町地区にある。

福聚山 観現寺 (真言宗)
真庭市(北房町)上水田井尾下 6147  電話0866-52-4704
アクセス JR姫新線(佐用~新見) 月田駅から6.6km
開基:大同年間(平安時代初期)、弘法大師空海※寺伝・縁起等による
本尊:十一面観音菩薩
参考情報 高野山備中霊場第四番。
「北房大師巡り」の第七十三番札所。
現在使用している本堂は、宝永元(1704)年に建立されたものである。
参考文献 『北房町史 通史編 上』 北房町史編集委員会/編 (1992年)
『備中の霊場めぐり』 川端 定三郎/著 (1993年)
『備中寺院めぐり』 中外日報社広島支部/編集 (1994年)
http://digioka.libnet.pref.okayama.jp/mmhp/kyodo/kenmin/bittyujinmeguri/bittyujiin-maniwa02.htm

いもがおか≒井尾奥(いおがおく、 又は いおおく と読むのだろうか)
十一面観音様のいる観現寺 所在の上水田 井尾下の北側には、上水田 井尾奥と言う地名がある。
いもがおか は、井尾奥の事だろうか?(詳細不明です。未確認ですみません。)
ゲスト  投稿日時 2016/5/3 12:59
(小字 芋岡 地名がある)真庭市阿口にある古寺。

聚法山 薬王寺 (岡山県真庭市阿口1658)
宗派:高野山真言宗
草創 : 天平元年(729)と伝えられている。
開基:大同2(807)年、弘法大師空海※寺伝・縁起等による
本尊:薬師如来
参考情報 : 高野山備中霊場第三番。
明治8年、現阿口小学校の前身である、開明校が本寺の本堂脇室に開校し、当時の住職が教鞭をとったという。
本堂は平成23年に建て替えられた建物である。
御本尊には薬師如来をお祀りし、鎮守堂には弘法大師巡錫の際に、勧請されたと伝わる筏山牛頭天王をお祀りしている。
11月8日本尊祭大般若会(厄災除け祈祷)
管理されている寺 : 東高山 光林寺 〒719-2402 岡山県高梁市中井町西方6897
  代表者住職 清水康氾 電話番号0866-28-2164
参考文献 :『北房町史 通史編 上』 北房町史編集委員会/編 (1992年)
     『備中寺院めぐり』 中外日報社広島支部/編集 (1994年)
http://www.kourinnji.com/html/yakuouji.php
http://digioka.libnet.pref.okayama.jp/mmhp/kyodo/kenmin/bittyujinmeguri/bittyujiin-maniwa05.htm


web上ですが、「身代わり観音」様はどこにいらっしゃるか不明でした。
また、小字 芋岡 と言う地名は阿口にありましたが、地図上は不明でした。
阿口の芋岡 がこのお話にある「いもがおか」であると断定は出来ませんでした。
ゲスト  投稿日時 2016/5/3 11:47
龍王山 (岡山県真庭市(北房)阿口字金倉 ) 標高  600.84m
阿口小学校から形良く見えました。山頂には阿口神社があり、モミジの落葉した参道がとてもきれいでした。周辺は山深い所ながら稲作していました。
http://vbsoft.sub.jp/hana/gazouhyouji20.cgi?no=15

県道311号線から東に入り、小学校の脇を通り、先ずは【阿口神社】に参拝する。(古来から昊天時に雨乞いの神事が゙行われ、その霊験は著しいものがあるとの伝あり)
 安全祈願の後、東回りで電波塔のある山頂に登る。
 三角点は電波塔フエンスの西2mのところで保護石に守られている。山頂からの展望はイマイチで、阿口神社の参道まで戻り、西北の眺望をカメラに収める。(H19.03.03)
http://www.geocities.jp/komaithi/b/dhokubotyuo.html
ゲスト  投稿日時 2016/5/3 11:27
(小字 芋岡 地名がある)真庭市阿口にある神社。

阿口神社(アクチジンジャ)
御祭神 高オカミ神 金山彦命 譽田別命 軻遇突智命 稻倉魂神
通称名 龍王様(リュウオウサマ)
旧社格 村社
〒 716-1431 真庭市阿口604  電話番号 0866-52-3981  宮司宅電話 0866-52-2891
駐車場 有 50台  交通 阿口小学校から東へ約800m
氏子地域 真庭市(阿口)
御神徳 祈雨・安産・商売繁盛
主な祭典 1月1日 : 元旦祭 3月第3日曜日 : 祈年祭 10月第3日曜日 : 例祭
特記事項 25年に1度の式年制度
由緒
 当社は社伝によると天正18年6月15日阿口村大氏神として、干年山山頂に「龍王神社」を御創建したと伝えられている。
 天正年間に地域内において、鉱産物の採掘が始まり、その繁栄を願って鉱山中心の御祭神が奉祀され繁栄した。天正18年、この年大旱魃があり、阿口村の代表が干年山上(現在の龍王山)にて雨乞祈願をいたした処、霊験著るしく俄かに降雨があり、この年諸作物は大豊作となったため、霊意を感じ龍王神社を建立したものである。
 又、慶長年間に網掛八幡、並びに文化年間に愛宕大明神、宝永年間に稲荷大明神などが、氏子内に奉斎されていたが、明治43年4月25日龍王神社に合祀され現在の「阿口神社」が御創建された。
 当社は龍王山のほぼ山頂(600メートル)近くに御鎮座されており、昭和40年代当初に車道が開通した。晴れた日には霊峰「大山」が参道から遠眺でき又、「だいご桜」の満開時には境内の木立の間から至近距離に見下ろせる。
 今日、安産祈願、商業繁栄の祈願などの為、地域外から参拝される方が増加しつつある。
http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=11040
ゲスト  投稿日時 2016/5/3 11:07
「いもがおか」について
旧 中津井村を含んでいた旧 北房町地区には、「芋岡」と言う小字地名が大字 阿口にある。

岡山県内の製鉄(たたら)地名
鋳造では「鋳物師」・「芋」が多い地名です。芋はイモジのイモの当て字と言われています。
鋳造
 「芋岡」 (真庭市阿口)←旧 北房町
 「イモウ祢」 (真庭市五名)←旧 北房町
 「鋳物師谷」(総社市三因・真庭市三坂)
 「鋳物師畑」(真庭市樫西)
 「金鋳場」(岡山市北区御津町中山)
 「芋迫」(高梁市川上町高山)
 「芋ヶサコ」(新見市大佐上刑部)
 「芋谷」(備前市西片上)
 「芋井谷」(美咲町大戸下)
http://miwa1929.mond.jp/index.php?%E5%B2%A1%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E5%86%85%E3%81%AE%E8%A3%BD%E9%89%84%EF%BC%88%E3%81%9F%E3%81%9F%E3%82%89%EF%BC%89%E5%9C%B0%E5%90%8D

旧 北房町
現在は真庭市の大字として継承されている。
五名(ごみょう) : 旧水田村
山田(やまだ) : 旧水田村
宮地(みやじ) : 旧水田村
上水田(かみみずた) : 旧上水田村
下中津井(しもなかつい) : 旧中津井村
上中津井(かみなかつい) : 旧中津井村
阿口(あくち) : 旧呰部町
上呰部(かみあざえ) : 旧呰部町
下呰部(しもあざえ) : 旧呰部町
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%88%BF%E7%94%BA
ゲスト  投稿日時 2016/3/29 0:30
巨木探訪:真庭市 北房町
「願成寺のイチョウ」である。
このイチョウ、幹周も樹高もなかなかの樹で、青空を背景に立っている姿は爽快である。
しかし境内に入ってみると特に素晴らしいのは根張りであった。
地表に露出した根が八方に広がっている様は見ていて飽きない。
http://www.akaiwa-city.com/51asahi_f/kikoshu/uepyon/maniwa/kyobo_maniwa_17.html

観音様の側には、立派なイチョウの巨木があるようです。
ゲスト  投稿日時 2016/3/26 20:53
佐井田城(さいたじょう)

●所在地 岡山県真庭市下中津井
●別名 斉田城、才田城
●高さ 332m(比高120m)
●指定 真庭市指定史跡
●築城期 鎌倉時代又は戦国時代
●築城者 山田重英、又は植木秀長
●城主 山田氏・植木氏・三村氏など
●遺構 郭・堀切・石垣等
●登城日 2014年5月18日

◆解説(参考文献 『日本城郭体系第13巻』等)
 佐井田城は備中国の中間部の北方にある山頂に築かれた城砦で、特に北の伯耆国とを結ぶ現在の国道313号線を東麓に臨む位置に所在する。ちなみに、この313号線は、南は広島県福山市から北上し、備中を経由し、鳥取県東伯郡北栄町に至るルートで、佐井田城は、いわゆる要所の位置であった。

現地の説明板より
“佐井田城跡
 標高332mの山上にある山城跡です。鎌倉時代初期の築城で文治2年(1186)山田駿河守重英の居城であったといわれています。
 その後戦国時代に庄氏の一族植木秀長、孫下総守秀資へと受け継がれました。戦乱の続く中、備中北部攻防の中心城で、津々の加葉山城と連携し、要害堅固な備中三名城のひとつと称えられました。
   町指定史跡”

願成寺
 北東麓には願成寺という寺院がある。山号は佐井田山となっているので、当城もしくは城主・植木氏と何らかの関係のある寺院だろう。
http://saigokunoyamajiro.blogspot.jp/2014/12/blog-post_26.html

奈良時代 行基 開山時には、佐井田山全てを聖域とする山岳寺院だったようです。
鎌倉時代以降に城として扱われ、戦禍による甚大な被害で縮小化された願成寺となったようです。
ただ、本尊のみ残ったとの記述はありますが、身代わり観音様の詳細は未確認です。
ゲスト  投稿日時 2016/3/26 20:35
備中西国三十三所観音霊場巡り(13)・・・願成寺(No.7)
佐井田山光明院(さいださんこうみょういん)願成寺(がんじょうじ)<真言宗 御室派>
〒716-1421 岡山県真庭市下中津井679 電話番号 0866-52-3794
[御詠歌] 何事も 心ひとつで 願成寺 罪も報(むく)いも 救(すく)いまします

自伝によると、奈良時代の天平勝宝(てんぴょうしょうほう)2年(750)に僧・行基(ぎょうき)によって創建されたとしているが、戦国時代(16世紀)に山陰の尼子(あまこ)勢と山陽の毛利や三村勢との争いに巻き込まれるなどたびたび兵火にかかり、本尊を除いてすべてを焼失してしまい、詳しい沿革などはわからない。しかし、多数の僧房などを擁するかなりの大寺であったようで、付近には寺屋敷・寺平・般若坊などと称するゆかりの地名が残っている。  (小出)

天正2年(1574)から3年にかけての備中大兵乱では、毛利・宇喜多勢により、
まず猿掛城(さるかけじょう)<現真備町猿掛>、佐井田城<現北房町上中津井>を手始めに国吉城<現川上町七地>、鶴首(つるくび)城<現成羽町下原>、楪(ゆずりは)城<現新見市上市>などが、次々と落とされます。
そして天正3年5月、遂には松山城も炎に包まれ、一旦は逃げ延びた元親も今はこれまでと、頼久寺近くの松連寺で腹を切ります。元親の子、8歳の勝法師もその利発さが仇となり、宝福寺<総社市井尻野>で首を刎ねられます。  (岡山博物図鑑)

北房町には備中川や中津井川が流れ、肥沃な盆地が広がっています。かつては交通の要衝として、相当古い時代から栄えていたようで、そのためか町内には驚くほどたくさんの古墳が見つかっています。  (岡山博物図鑑)

高梁や新見の町が川沿いの盆地であるのに対して、このあたりはそれほど山が迫っているわけでもなく、広々としている。備中鐘乳穴(かなちあな)があるように、カルスト台地でもある。また、尼子や毛利・宇喜多勢の勢力の衝突しやすい場所でもあった。そのためにこの寺も数々の兵火を受けて、往年の輝きを失ったのであろう。境内に大きなイチョウの木がある。その木は突出して大きく見える。そのアンバランスに、歴史のなかに収まりきらず俗化した寺の宿命を見る気がする。
http://doublerider.seesaa.net/article/417755096.html
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