Re: 身がわり観音

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昔、備中国中津井(なかつい)の蝋燭売りの女が鳥取県の根雨(ねう)の旅籠に泊まった時の事。夜更けに隣の部屋から何やら読経の声が聞こえてくるので、隣の部屋の男へ声をかけてみると...…全文を見る

Re: 身がわり観音

投稿者:ゲスト 投稿日時 2016/3/26 20:35
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備中西国三十三所観音霊場巡り(13)・・・願成寺(No.7)
佐井田山光明院(さいださんこうみょういん)願成寺(がんじょうじ)<真言宗 御室派>
〒716-1421 岡山県真庭市下中津井679 電話番号 0866-52-3794
[御詠歌] 何事も 心ひとつで 願成寺 罪も報(むく)いも 救(すく)いまします

自伝によると、奈良時代の天平勝宝(てんぴょうしょうほう)2年(750)に僧・行基(ぎょうき)によって創建されたとしているが、戦国時代(16世紀)に山陰の尼子(あまこ)勢と山陽の毛利や三村勢との争いに巻き込まれるなどたびたび兵火にかかり、本尊を除いてすべてを焼失してしまい、詳しい沿革などはわからない。しかし、多数の僧房などを擁するかなりの大寺であったようで、付近には寺屋敷・寺平・般若坊などと称するゆかりの地名が残っている。  (小出)

天正2年(1574)から3年にかけての備中大兵乱では、毛利・宇喜多勢により、
まず猿掛城(さるかけじょう)<現真備町猿掛>、佐井田城<現北房町上中津井>を手始めに国吉城<現川上町七地>、鶴首(つるくび)城<現成羽町下原>、楪(ゆずりは)城<現新見市上市>などが、次々と落とされます。
そして天正3年5月、遂には松山城も炎に包まれ、一旦は逃げ延びた元親も今はこれまでと、頼久寺近くの松連寺で腹を切ります。元親の子、8歳の勝法師もその利発さが仇となり、宝福寺<総社市井尻野>で首を刎ねられます。  (岡山博物図鑑)

北房町には備中川や中津井川が流れ、肥沃な盆地が広がっています。かつては交通の要衝として、相当古い時代から栄えていたようで、そのためか町内には驚くほどたくさんの古墳が見つかっています。  (岡山博物図鑑)

高梁や新見の町が川沿いの盆地であるのに対して、このあたりはそれほど山が迫っているわけでもなく、広々としている。備中鐘乳穴(かなちあな)があるように、カルスト台地でもある。また、尼子や毛利・宇喜多勢の勢力の衝突しやすい場所でもあった。そのためにこの寺も数々の兵火を受けて、往年の輝きを失ったのであろう。境内に大きなイチョウの木がある。その木は突出して大きく見える。そのアンバランスに、歴史のなかに収まりきらず俗化した寺の宿命を見る気がする。
http://doublerider.seesaa.net/article/417755096.html
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