昔々のずっと昔、赤城の神さまと日光の神さまは絶えず争っていた。戦(いくさ)の原因は、日光の中禅寺湖が満々と水をたたえているのに対し、赤城の山は岩だらけで、水が無かったからであった。
ある夜、赤城の神は、赤城の仁王に中禅寺湖の水を盗んでくるように命じる。赤城の仁王が中禅寺湖に着くと、そこには水を取られまいとする日光の仁王が待ち構えており、二人は取っ組み合いになった。赤城の仁王は、組み合いながら中禅寺湖の水を右手ですくい、素早く赤城山の方に投げた。日光の仁王が慌てて赤城の仁王の右手を押さえると、今度は左手で水をすくい赤城の方に投げた。こうして、赤城の仁王が右手で投げた水が大沼に、左手で投げた水が小沼になったと言われている。
日光の神は、取られた水を取り返すべく、白蛇の大群を赤城山に向かわせた。ところが、赤城山の岩かげからはムカデの大群が現れ、白蛇の大群を返り討ちにしてしまった。勢いにのった赤城勢は、中禅寺湖まで攻め込み、中禅寺湖を自分達のものにしようとしていた。そして劣勢に立たされた日光の神は、誰か自分に加勢してくれる味方を探さねばならなかった。
そのころ、奥州の厚樫山(あつかしやま)の辺りに猿麻呂(さるまろ)という若者がいた。ある日、猿麻呂が昼寝をしていると、一匹の立派な白鹿が猿麻呂の前を駆けていった。猿麻呂は、得意の弓で白鹿をしとめようと後を追った。すると白鹿は岩の上に立ち、自分は日光の神であると猿麻呂に告げた。
日光の神は、赤城の軍勢を迎え撃つため猿麻呂に加勢を頼みに来たのだと言う。そして、猿麻呂は奥州に残してきた自分子孫であり、もし、赤城の軍勢を撃退したなら、ここ男体山を猿麻呂に狩場として与えると言う。猿麻呂も日光の神とは親戚同士なので、加勢しないわけにはいかなかった。
翌朝、猿麻呂が中禅寺湖の西に立つと、地響きとともにムカデの大群が赤城の方から攻め寄せてきた。そして、日光方からは白蛇の大群がこれを迎え撃った。ところが、時間が経つにつれて蛇の大群はムカデの大群に押されて後退し始めた。
その時、白蛇の中から金色のうろこを持った大蛇が鎌首をもたげた。この大蛇こそが、日光の神であった。すると、赤城方からはムカデの大群の中から一匹の大ムカデが現れ、大蛇の首に巻きついた。あまりのすさまじい戦いに息をのむ猿麻呂であったが、日光の神との約束を思い出し、大ムカデに向かって矢を放った。猿麻呂の放った矢は、見事大ムカデの左目に命中した。さすがの大ムカデも急所を射られてはどうしようもなく、すごすごと赤城の山中へ退却していった。
そして、赤城の神は片品川(かたしながわ)のほとりで目に刺さった矢を抜くと、矢で岩をつつき温泉を出して傷ついた左目を癒した。これが今の老神温泉(おいがみおんせん)で、ムカデと蛇が戦った跡が戦場ヶ原だと言われている。
(投稿者: やっさん 投稿日時 2011-7-23 11:15)
ナレーション | 市原悦子 |
出典 | 群馬県 |
場所について | 中禅寺湖 |
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