赤城と日光の戦いの老神温泉について。
投稿者:マルコ 投稿日時 2013/8/5 15:21
赤城と日光の戦いの老神温泉について。
歴史
開湯伝説によれば、赤城山の神である大蛇と、日光の二荒山の神である大ムカデが争った際、赤城山の神がこの地に出来た温泉で傷を癒して二荒山の神を追い払ったとされる。この時、神を追い払ったという事で「追神」温泉と命名され、後に転じて「老神」温泉となった。
古くは片品川を挟んで老神温泉、穴原温泉と名称が分かれていたが、現在は両方を併せて老神温泉と呼んでいる。
開湯伝説・神域
その昔、赤城山を根城にしてその近辺を統治していた大蛇の神と、日光を統治しているムカデの神が聖域・神域をかけて争っていた。その戦は長期にわたり激しい争いが続いた。そして、日光にある戦場ヶ原という場所で繰り広げられた戦いで、日光のムカデ神の軍勢が放った矢に大蛇神が大きな傷を負ってしまう。しかたなく、大蛇神は戦場ヶ原を撤退し、後の老神温泉付近まで逃げてきた。そこで大蛇神がムカデ神より放たれ、今まで体に刺さっていた矢を地面へと突き刺した。するとそこから温かい湯が湧き出で、あっという間に湯の泉を作った。その湯に大蛇神は浸ると立ち所に傷が癒え力が漲ってきた。そして、ムカデの神を見事に日光へと追い返したという。
この伝説には上述の他に諸説あり、以下の様な説が挙げられる。
赤城山の神がムカデ・二荒山の神が大蛇という説実はムカデが勝利したという説。
最後にムカデ神を追い返した時に大蛇神には助太刀がいたという説(この助太刀は、野山に住む神獣・白猿・白雉・白鹿・白蛇その他といわれている)。
大蛇神が傷を負ったのは眼で、追い払うときにムカデ神の眼に矢を射った。
この伝説はこの地方の貴族や豪族、有力者の争いを神権化したものという説。
大蛇神は八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の子孫・眷属・同神族であるという説。
赤城山の山中には大蛇塚(または蛇頭塚・蛇神塚)なるものがあり、その場所は地元や老神温泉の中でも一部の者が知っている聖域・神域とされている。一方でこの大蛇神を奉った塚や社が、老神温泉から望める大楊山やその奥山加えて近辺の山にも相当数存在していると言われている。その一部は洞窟や石社になっており、御(護)神刀や短刀、弓矢等の武器・宝物・宝刀に加えて大蛇が描かれた水墨画・山水画・日本画も奉納されている。
これらの場所は文化財の盗難や破壊を防ぐために詳細を示さないが、奉納されている神器は時価にして相当額に上るものもあるとのことで、それぞれ貴重な品々であると言えよう。