赤城と日光の戦いの色々なバージョン。

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昔々のずっと昔、赤城の神さまと日光の神さまは絶えず争っていた。戦(いくさ)の原因は、日光の中禅寺湖が満々と水をたたえているのに対し、赤城の山は岩だらけで、水が無かったか...…全文を見る

赤城と日光の戦いの色々なバージョン。

投稿者:マルコ 投稿日時 2013/3/27 9:12
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赤城山の神と二荒山の神が争って、赤城山の神が勝ち、二荒山の神が流した血で山が赤くなった。逆に、二荒山の神が勝ち、赤城山の神が流した地で山が赤くなった。そうして赤き山→赤城山と呼ばれるようになった、という伝説が各地に伝わっています。

ある時、赤城山の神様は、日光中禅寺湖の領有を主張し、それを認めない日光二荒山の神様との戦いが始まった。赤城山の神様は大ムカデ、日光二荒山の神様は大蛇に化身し、日光の戦場ヶ原で戦った。
初めのうちは、足尾の細尾が加勢し、二荒山の神様は苦戦し、下毛野国に押し返されてしまった。そこで日光の神は、鹿島の神の紹介を受け弓の名人の猿麻呂の助太刀を得た。猿麻呂が駆けつけると、たくさんのムカデとこれまたたくさんの蛇が戦っている。猿麻呂は、無数のムカデのうち、すぐれて大きな百足が赤城の神だと、矢をムカデの左目に当てた。すると、ムカデはたまらず逃げていってしまった。傷ついたムカデが赤城山に帰り、その血で山が真っ赤に染まり、以来「赤き山⇒赤城山」と呼ばれるようになった。(栃木県の伝説)

 上毛新聞刊「なるほど 赤城学」(東京福祉大学・大学院教授 栗原久先生)によれば、ほかにも、二荒山の神の流した血で山が染まる伝説(桐生市新里町)、赤城山の神は大蛇に二荒山の神はムカデに化身して赤城山の神が二荒山の神を打ち負かし追い返す伝説(老神温泉)、二荒山の主の大蛇が赤城山の主の大ムカデに苦しめられて坂上田村麻呂に助けを求め、敗走する大ムカデの足跡が菅沼・丸沼になる伝説(片品村)、日光二荒山の神が赤城の沼の領有を主張して戦になる伝説(栃木県)などが伝わっています。
 大和朝廷の支配下で毛野国が渡良瀬川を境に上毛国と下毛国に分割され、その後激しい領地争いの戦いがあったようで、これが赤城山と二荒山の神々の争いとして伝承されている、と指摘なされています。

赤城の神様が戦いの傷を癒したという老神温泉の伝説

老神温泉に伝わる赤城と日光の神様同士の神戦伝説では、日光二荒山の神様がムカデ、赤城の神様が蛇に化身し、戦いを繰り広げます。そのことにちなんで、老神温泉では、毎年五月七日・八日には“大蛇祭り”が行われています。

領地をめぐって争いを起した赤城山の神と二荒山の神は、何度も話し合ったが決着がつかず、ついに合戦となった。蛇に化身した赤城山の神と、ムカデに化身した二荒山の神は、戦場ヶ原で戦いを繰り広げた。赤城山の神は、流れ矢にあたり負傷してしまい、なんとか赤城山の麓まで逃れてきた。そこで矢を抜き、その矢を地に突き刺すと不思議なことにこんこんと温泉が湧き出してきた。負い傷を湯に浸してみると、これまた不思議なことに傷はたちどころに治ってしまう。
傷の治った赤城の神は反撃を開始するが、勢いづいている二荒山の神に苦戦を強いられる。赤城山の神は必死の防戦を繰り広げ、ついに地形を利用して深手を与え、二荒山の軍勢を見事追い返した。
その後、この土地は赤城山の神が二荒山の神を追い返したことから「追い神」と呼ばれるようになり、赤城山の神は温泉で老いるまで過ごしたので「老神」といわれた。(沼田市利根町の伝説)
老神(おいがみ)温泉という名称の由来には、「赤城の神様が追われて来たため」という説と「傷ついた神が敵を追い返す力の基となった温泉と言うことで“追神⇒老神”と呼ぶようになった」という異なった二つの伝説が残っています。
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