Re: 赤城と日光の戦い

赤城と日光の戦い についてのコメント&レビュー投稿
昔々のずっと昔、赤城の神さまと日光の神さまは絶えず争っていた。戦(いくさ)の原因は、日光の中禅寺湖が満々と水をたたえているのに対し、赤城の山は岩だらけで、水が無かったか...…全文を見る

Re: 赤城と日光の戦い

投稿者:ゲスト 投稿日時 2021/5/18 2:24
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赤城の赤は丹生から水銀技術が開発されるまで朱色は作れなかった。
それは渡来人の先端技術だったから。
だからそれまでは赤は明るい意味で表現され、白い光のようなものがアカきものとされた。
つまり畏れる対象として神なるものを指していた。
結局 赤→白どちらもアカい、赤城→白城
白城→新羅
新羅の王族は北九州から入っており、古賀古墳に新羅との関係を裏付ける装飾馬具が出土しており、彼らは東国を制覇した。
律令国家の始まりとなる7世紀は渡来の支配者によって統制された。
その覇権の及ぶ東国の最大勢力こそ群馬の古墳群が示しているものであり、そこには1400年前の原三国である百済、高句麗、新羅の三つ巴の争いが繰り広げられていたのであった。
アツいぜ日本史!
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