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No.0138
みょうがのやど
みょうがの宿
高ヒット
放送回:0085-A  放送日:1977年05月21日(昭和52年05月21日)
演出:芝山努  文芸:境のぶひろ  美術:芝山努  作画:芝山努
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茗荷を食わせて財布を忘れさせようとした欲張り夫婦の話

昔、安芸の宮島の厳島神社(いつくしまじんじゃ)へ続く街道筋に、とても欲深い夫婦が一軒の宿屋を営んでいた。強欲ぶりが旅人にもわかるのか、客はめったに来なかった。

その宿に、久しぶりに景気の良さそうなお客がやってきた。強欲な夫婦は、茗荷(ミョウガ)を食べると物忘れする、という話を思い出し、この客にたくさん茗荷を食べさせて大金の入った財布を忘れていかせようと計画した。

強欲亭主が、暑気払いに効果があるからと「茗荷の重ね食い」と名づけたその献立は、茗荷の串焼き、茗荷の浅漬け、茗荷の三杯酢、茗荷の煮つけ、茗荷のお汁、茗荷飯、にお酒。ミョウガのフルコースだったが、どれも美味しかったため客は大喜びだった。

翌朝、客は朝食にも茗荷づくしの料理を食べさせられて、なにやらフワフワとした気持ちで厳島神社へ出発した。さっそく亭主は客室をくまなく探したが、何も忘れているものは無かった。がっかりした夫婦だったが、財布に気を取られて宿賃をもらい忘れていた事に気が付いた。

がっくりと気落ちした夫婦だったが、あの客が茗荷料理のうまさをあちこちで吹聴してくれたので、それからその宿は「茗荷の宿」と呼ばれ、たいそう繁盛したそうです。

(紅子 2011-9-26 1:49)


ナレーション市原悦子
出典松岡利夫(未来社刊)より
出典詳細周防・長門の民話 第二集(日本の民話46),松岡利夫,未来社,1969年10月20日,原題「茗荷の宿」,採録地「吉敷郡」,話者「平田クマ、富永亀太郎」
場所について吉敷郡の嘉川という宿場町(地図は適当)
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地図:吉敷郡の嘉川という宿場町(地図は適当)
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※掲載情報は 2011/9/26 1:49 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
10件表示 (全15件)
アーリアジャスール2世  投稿日時 2020/6/22 22:42
実は原作の「周防・長門の民話 第二集」では主人が客が代金を払い忘れていた事に気づいた所で終わります。なのでラストの客がミョウガの味を吹聴してくれたおかげで夫婦の宿屋は大繁盛したという点はアニメオリジナルです。
ゲスト  投稿日時 2019/1/19 14:49
珍しく因果応報のないお話ですね
語り口調も落語のようでお見事でした

あ~ミョウガ食べたい
アーリアジャスール2世  投稿日時 2019/1/18 10:39
悪が栄える笑い話としては、落語の「黄金餅」に近いテーマなのかも。女房役の市原さん、亭主役の常田さんのご冥福をお祈りします。
アーリアジャスール  投稿日時 2017/7/22 7:19
それは1991年放送の茗荷と女房です。
ゲスト  投稿日時 2014/10/24 23:25
俺の知ってる話と違うなぁ。
俺の知ってる話だとおかみさんは味見のために食べたミョウガの量が多すぎて宿賃をもらい忘れるどころか自分自身が誰だかわからなくなって彷徨い歩くって奴だけどこれは別の日本昔話かな?
マルコ  投稿日時 2014/3/25 18:17
http://www.h6.dion.ne.jp/~chusan55/kobore8/412myooganoyado.htm

ミョウガは目立つ植物ではありません。野菜としてもその存在は小さいものです。

でも、この植物を家紋としている家はたくさんあります。それは、ミョウガの発音が冥加(みょうが)に通ずるからでしょう。

 冥加とは、眼に見えない神仏のご加護を知らず知らずのうちに受けることをいいます。

とくに、領地のために命をかけて戦う戦国武士たちは、戦闘で勝ち、命が残る冥加を願って、茗荷紋を好んで使用しました。
 
 徳川家康が没して東照大権現(とうしょうだいごんげん)の神号を与えられたとき、大僧正・天海はその脇侍(きょうじ)として摩陀羅神を置いたといわれます。それで日光東照宮の神輿(みこし)には摩陀羅神の神紋・茗荷紋が付いているそうです。
 このことから、大名や旗本などの諸家で、それまでの家紋をやめて茗荷紋に変えるところが増えました。初めから茗荷紋を家紋としていたのは、近江(おうみ・今の滋賀県)の稲垣氏ほか数家だけだったのが、のちには80家にもなったそうです。九州の鍋島家は元々杏葉紋(ぎょうようもん)でしたが、のちに形の似た茗荷紋も併用したと聞いています。

<ことば豆辞典> その四
【権 現】 仏が人々を救うために種々の姿をとってこの世に現われること。また、現われたその姿。
【天 海】 江戸初期の天台宗の僧。徳川家康の知遇を受けて、政務にも参画。家康の死後、東照大権現の称号を贈り、日光山改葬を主導。
【脇 侍】 仏の脇にいて衆生教化を助けるもの。仏像では、本尊の左右に置かれる像。
【杏葉紋】 アンズの葉ではなく、馬の鞍に着けるアクセサリーを図案化した器物紋。茗荷紋によく似ているが、器物紋なので葉 脈はない。

 現代、掃除や洗濯などの家事・雑用を嫌う人が多いと聞きます。掃除のような単調な作業でも、そのあいだ一心に『塵を払え、塵を払え、・・・・・ 』と唱え続けて行なえば、部屋の塵とともに心の塵も払われて、悟りの境地に入れるかも知れません。そして簡単な食事でも、ミョウガを刻んで薬味として味わえば、その香気によって、知らず知らずのうちに冥加を授かるのではないでしょうか。


とのこと・・・ミョウガについて調べてみたらいろいろ知識が増えました。日光東照宮の御神輿にミョウガの家紋があるとの事はマルコも知らなかったので、今度、御神輿を見る機会があったら確認してみたいと思います。
マルコ  投稿日時 2014/3/25 18:13
http://www.h6.dion.ne.jp/~chusan55/kobore8/412myooganoyado.htm

摩陀羅神信仰は中国に伝わり、平安時代に唐へ仏道修行に赴いた比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)第三代座主(ざす)・円仁(えんにん)の帰国の際に守り神となったことから、常行三昧堂(じょうぎょうざんまいどう)の守護神とされ、天台宗(てんだいしゅう)のお寺で祭られるようになったとのことです。

 今でも神社やお寺で摩陀羅神を祭っているところが多く、有名なのは、鳥取県の大山寺、島根県の鰐淵寺(がくえんじ)と出雲大社、日光東照宮などです。そして、お祭りの時にはミョウガが供えられます。
 
 京都の太秦(うずまさ)・広隆寺(こうりゅうじ)の牛祭(うしまつり)は、摩陀羅神の信仰行事としてよく知られています。

十月十日の夜、牛に乗った摩陀羅神が赤鬼・青鬼を従えて広隆寺の境内を練り歩くお祭りで、左右の二人がミョウガと笹を持ってお供をします。

<ことば豆辞典> その三
【座 主】 大きい寺の住職の呼称。延暦寺では天台座主(てんだいざす)と称し、天台宗一門を統括する。
【円 仁】 第三代天台座主。唐に渡って天台教学・密教などを修め、比叡山興隆の基礎を固めた。
【常行三昧堂】 天台宗で、何日ものあいだ、弥陀(みだ)の名号を唱えながら阿弥陀如来(あみだにょらい)の仏像の周りを歩いて、心に弥陀の本願を思い続ける修行を行なうお堂。
【広隆寺】 京都市右京区太秦にある真言宗の寺院。聖徳太子から授かった仏像をまつるために、603年、秦河勝(はたのかわかつ)が建立したと伝える。国宝第1号・弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)があることで知られる。
マルコ  投稿日時 2014/3/25 18:11
これでは周梨槃特さんが可哀相で、ミョウガも哀れ、食べる気がしませんね。でも、周梨槃特についてはもっと良いお話もあるのです。

 須梨槃特は兄と共にお釈迦さまに弟子入りしましたが、生まれつき大変物覚えが悪く、お経の一行も覚えられません。自分のあまりの愚かさを嘆いた須梨槃特はお釈迦さまに破門を願い出ました。しかしお釈迦さまは

「自らの愚かさに気付いたのだから、お前はもう愚か者ではない」

と諭されました。そして、箒とちり取りを与えて、

「須梨槃特よ、お前はお経を覚えなくてよい。その代わりに、これで毎日修行場の掃除をしなさい。ただし、掃除のあいだ『塵を払え』と唱え続けなさい。これならなんとか覚えられるでしょう」

と教えられました。

 須梨槃特はその日から毎日欠かさず掃除を続け、一心に 「塵を払え、塵を払え、・・・・・」 と唱え続けました。そしてある時、お釈迦さまから 「塵には眼に見えるものと眼に見えないものとがあるのですよ」 と教えられて、真に払い除くべきものは自分の心の中の塵だ、と気付きます。

 こうして須梨槃特は翻然と悟り、知的障害を乗り越えて仏心を体得した尊者となりました。そして須梨槃特が死んだあと、墓のまわりに生えたミョウガは悟りのシンボルになりました。

また、須梨槃特の霊は、摩陀羅神(またらじん、摩多羅神とも書く)という仏道修行者を守る神となったということです。
マルコ  投稿日時 2014/3/25 18:09
http://www.h6.dion.ne.jp/~chusan55/kobore8/412myooganoyado.htm

大昔、今から2500年くらい前、お釈迦様がインドの祇園精舎でお弟子たちに説法をなさっていたころ。

お弟子のなかに周梨槃特(すりはんどく)という人がいました。周梨槃特は兄と共にお釈迦さまの弟子になったものの、物覚えが極端に悪く、自分の名前まで忘れてしまうため、お釈迦さまは首に名札を掛けさせました。

しかし名札を掛けたことさえも忘れてしまい、とうとう死ぬまで名前を覚え続けることができませんでした。

 その後、死んだ周梨槃特の墓のまわりに見慣れない草が生えてきました。そこで 「彼は自分の名前を荷なって苦労してきた」 ということで、「名」を「荷なう」ことから、名の字に艸(くさかんむり)を付けて、この草を茗荷(ミョウガ)と名付けました。

<ことば豆辞典> その二
【節談説教】 仏教の経典や教義を、七五調の平易な文句で節回しをつけて説く、話芸のような説教。明治以後も行なわれ、浄土真宗のお寺では、昭和初期まで盛んに行なわれた。
【祇園精舎】 祇園は祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)の略。古代インドの舎衛国(しゃえいこく)にあった祇陀太子(ぎだたいし)の樹林地を、給孤独(ぎっこどく)の異名を持つ須達長者(しゅだつちょうじゃ)が買い取って堂塔を建て、仏道修行場としてお釈迦さまに寄進した。これを祇園精舎という。

マルコ  投稿日時 2014/3/25 18:07
http://www.h6.dion.ne.jp/~chusan55/kobore8/412myooganoyado.htm

では、どうして「ミョウガを食べると物忘れがひどくなる」と言われるようになったのでしょうか。まずは古典落語にある「茗荷宿(みょうがやど)」というお話から調べてゆきましょう。

 昔、ある宿場町(しゅくばまち)に大きな宿屋(やどや)がありました。この宿屋の老夫婦は、一人娘に婿養子を取りました。この婿は、始めはよく働いて客あしらいも良かったので、宿屋は繁盛が続きます。

ところが、老主人夫婦が亡くなって、若夫婦の代になると、この婿は道楽を覚えて商売そっちのけ。借金がかさみ、雇い人も辞めてしまい、旅館も人手に渡ることになりました。

 しかし夫婦は別れもせず、残ったお金を元手に、宿場町から離れた場所で「茗荷屋」という安い宿をはじめました。婿は心を入れ替えて、またよく働くようになりましたが、町から遠い場所で客は少なく、宿賃(やどちん)も安いので、夫婦は貧乏暮らしの日々。

 そんな茗荷屋に、ある日、よい身なりの客が来ました。客はおかみにずしりと重い荷物を預けました。おかみがこっそり中身を調べると、中は絹の反物と三百両もの小判の入った財布。おかみは持って逃げようかと亭主に相談しました。しかし、捕まれば身の破滅は必定。

 そこで二人は茗荷屋の名にかこつけて、「今日は先代の命日なので、屋号に因んでミョウガづくしの料理を作ります」と言って、ミョウガをたくさん食べさせ、預かった荷物のことを忘れさせようと考えました。

出した料理は、ミョウガの炊き込み御飯、ミョウガの卵とじ、ミョウガ入り味噌汁、ミョウガの漬け物、ミョウガのてんぷら、などなど。客は、おいしいおいしいとミョウガ料理を全部食べました。

 さて翌朝、先を急ぐ客はわらじもはかずに、飛び出していきます。「しめた!」と夫婦が喜んだのもつかの間、先ほどの客が慌てて戻ってきました。道を歩いていると、足の裏が痛いので、宿でわらじをはかずに出たことに気付いて戻ってきたのだと言います。客はわらじをはいて、また出て行きました。

夫婦がほっとしたところへ、また客が戻って来ました。街道を歩いていると皆、荷物を持っている、自分は荷物を持っていない、宿屋に忘れてきたことに気が付いたというのです。宿の夫婦はしぶしぶ反物と財布の入った荷物を渡しました。

 おかみ「あーあ、当てが外れたね。ところで、お前さんもミョウガをたくさん食べたけれど、何か忘れ物をしていないかい?」

 亭 主「あっ! しまった! 宿賃をもらうのを忘れた! 」

 この落語はどこかの民話から題材をとったようです。その民話の元は、お釈迦(しゃか)さまの弟子・周梨槃特(すりはんどく)という人についての仏教説話だと言われています。昔、お寺では僧侶による節談説教(ふしだんせっきょう)が広く行われました。日本の民話や話芸は、この節談説教に由来するものが多いといわれます。さて、その茗荷宿の大元になった仏教説話というのは・・・・・、
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