源泉名:岩室温泉・泉温:52.2℃
泉 質:含硫黄・ナトリウム・カルシウム塩化物温泉
効 能:神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、
くじき、慢性消化器病、疾患、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康促進、
きりきず、やけど、慢性皮膚病、虚弱児童、慢性婦人病.
慶長3年(1598)岩室村検地帳に「湯のこし」の地名があることから、すでに湯の湧出があったと考えられる。正徳3年(1713)には役金を上納する「湯組」37軒があったことから、岩室温泉は300年の歴史ある湯の街です。昭和38年、国民保養温泉地に指定され泉質の良さでは折紙付きである。
岩室温泉の生い立ち
岩室温泉は、別名「霊雁の湯」とも呼ばれています。
それは、正徳三年(1713)、白髪の老翁が庄屋高島庄左衛門の夢枕に立ち、そのお告げ通りにこの地を探すと、一羽の傷ついた雁が泉流に浴して怪我を癒 していたことから、源泉を発見したとされる不思議な言い伝えに由来しています。また、寛政十二年(1800)の「岩室村明細帳」という報告書によると、温 泉地としての営業がおおやけに認められたのが、正徳三年であったと記されています。この公認があった年から、岩室が温泉地として一層活気づき、その後の発 展の出発点となったことを考慮すると、この「霊雁の湯」伝説には、さらなるこの地の繁栄を願う村民の思いが込められていることがうかがわれます。
その後、江戸時代後期にもなると、岩室を訪れた湯治客の様子とその繁昌振りが多くの書物に紹介され、広く全国にその名を高めていきました。
越後を代表する民謡「岩室甚句」もその起こりは、正徳年間にさかのぼるとされ、温泉発見にわきたつ人々の踊り喜ぶ様から、重五郎という人物が案出したと 伝えられています。なお、その歌詞にあるだいろ(蝸牛)は農民を、「角を出せ」は年貢米を出せとの意とされ、厳しい封建支配下の農民の反抗を表したものと 言われています。
良寛さまがこよなく愛した岩室
良寛和尚(俗名:山本栄蔵)は出雲崎の庄屋橘屋の長男として、宝暦8年(1758)生誕。
18才で光照寺(出雲崎)で悌髪し、仏門に入る。22才から37才の間、岡山県倉敷市「円通寺」で国仙和尚の弟子として修行、「大愚良寛」と改める。その後、国上寺五合庵、乙子神社、寺泊の密蔵院で69才まで住まいし、晩年の6年間は島崎(旧和島村)の木村家で供養うを受け、天保2年(1831)1月6日74才で死去。
国上山での頃から、良寛和尚は旧岩室村の医家・山岸楽斎や小川家、堀越家をはじめ岩室温泉、間瀬に度々足を運び、多くの詩歌を詠んでいます。
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