深んぼのすげがさ についてのコメント&レビュー投稿
ある村に、他所から若い嫁さんがやって来た。 若い嫁は、まだ野良仕事に不慣れなため、いつも姑に小言を言われていた。それでも嫁さんは一生懸命に働いた。 やがて田植えの季節と...…全文を見る

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投稿者:ゲスト 投稿日時 2015/2/3 14:03
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この話は子どものころテレビで見て
若い娘が田んぼに沈んでしまうシーンだけ異様に記憶に残り、探していました。田んぼが底なしのようになっていたことが不思議で、恐ろしく感じたものです。大人になってみると、娘の清廉で健気な姿に心をうたれます。
放送年は私は4歳です。私が見たのがそのときならば、何十年たっても記憶から消えない名作だと思います。
投票数:37 平均点:10.00

投稿者:ゲスト 投稿日時 2015/10/18 18:13
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私も若い女性が田んぼに沈んでしまうシーンだけが
記憶に残っていて、探していました。

あらすじを読んで思い出しましたが、
一生懸命に働いて、何もわるいことをしていないのに
死んで終わるというのが、子ども心になんとも
報われなくて、悲しくて、切なくて。

ようやく、見つけて、すっきりしました。
ありがとうございました。
投票数:36 平均点:10.00

投稿者:ゲスト 投稿日時 2018/10/2 14:01
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竹村公太郎さんの日本史の謎は地形で解けるという本を読んでいて、胸まで泥に浸かって田植えをしている写真を見て、突如として幼少期にその映像をみた記憶が蘇りました。田植えをしていた若い女の人が足を踏み外して底なし沼に落ちていくシーンです。現代ではそのような稲作の方法なんてみたことないのに、鮮明に覚えていました。
まんが日本昔ばなしは日本の文化を伝えてますね。
あらすじ読んですっきりしました。
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投稿者:Perenna 投稿日時 2020/10/3 23:10
この昔話と似たような話は、未来社の「茨城の民話・第二集」にも収録されています。
「見えねえ田」(新治郡)という題名です。
「むかし、あるお百姓さんの家でお嫁さんをもらいました。ちょうどせわしい苗代かきのころだったものですから、嫁に来た翌日からお嫁さんは真新しい菅笠をかぶって、夫といっしょに田んぼへ出て働いていました。お嫁さんの生まれた家はお百姓でなかったものですから野良仕事は馴れていないので、仕事も下手ではかどりません。」という書き出しで始まっています。
お嫁さんが沈んでいった底なしの深田のことを、これからのち「見えねえ田」と呼ぶようになったそうです。
「このような哀話は、霞ケ浦のまわりの底なし田にはたくさん伝わっています。」とも書かれています。
新治郡のあたりは昔は沼や湿地帯が多く、江戸時代になってから埋め立てなどをして新田開発をしていった場所らしいです。
今ではこのような底なし沼や深田などは、戦後の再開発や宅地造成でなくなってしまったのではないかと思われます。
投票数:38 平均点:10.00

投稿者:ゲスト 投稿日時 2020/10/4 0:23
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地方には、下半身~腰までつかるような田んぼが多かったと言われています。
自分が子供時代に過ごした新潟でも、昔の写真で見た記憶があります。
今は機械もあるのでこんな危険な思いをする事は無いと思いますが・・・
(法律で禁止されているかも)

食べ物は粗末にできないなあと感じた次第です。
投票数:37 平均点:10.00

投稿者:Perenna 投稿日時 2020/10/4 2:33
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ゲストさま。

「茨城の民話」には、次のように書かれています。
「その田んぼは底なしの深い田なので、丸太を入れてその上を足をそろーっと動かして、注意深く渡りながら苗を植えなければなりません。深田は、泥田の中へ入れた丸太ん棒の上に立って、やっと胸から上が出るほどなのです。」

このような写実的な文章を読んでみると、当時の危険な深田で働いていた農家の方たちのご苦労と大変さがしのばれて、涙してしまいますね・・・

さらに、お嫁さんが深田で命を落とすところは、次のように書かれています。
「夫が用事をおえて帰って来たとき、お嫁さんはまだ帰っていませんでした。夫はお嫁さんがよろこぶからと、またいつものようにせえ風呂を沸かして待っていました。
ところが、いつになってもお嫁さんは帰って来ません。心配になってみんなで行ってみると、田んぼはほとんど植えおわり、一か所だけ植え残っているだけでした。そしてそこには、お嫁さんがいつもかぶっていた菅笠がぽっかりと浮かんでいました。
お嫁さんは、泥田の中にある丸太ん棒を足場に胸までつかって植えているうちに、目まいがしてつるりと足をすべらして、この底なし田の中へ、吸いこまれるようにずぶずぶと沈んでしまったのでしょう。」

日本人の主食は、もちろんお米です。
その大切なお米を作るために、昔の農家の人たちは、現代人には考えられないような危険な目にあったり、他人にはうかがい知ることのできない苦労や心労があったのかと思うと、なんだか泣けてきます・・・
食べ物は粗末にできない、というお考えは、まったく同感ですね!
投票数:38 平均点:10.00

投稿者:ゲスト 投稿日時 2021/3/25 12:02
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疑問なのですが、こうした田んぼは稲刈りの際はどういう状態になるのでしょうか。
投票数:38 平均点:10.00

投稿者:Perenna 投稿日時 2021/3/28 1:08
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ゲストさま。

三土正則氏(農業技術研究所)がお書きになった「日本の土壌7・水田土壌」という論文に、この昔話のことが言及されています。
https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8427585_po_13_2_7.pdf?contentNo=12&alternativeNo=

「茨城県下でかつて「笠田」という地名の由来を訊ねたとき「他村から来たばかりの嫁が、知らずに一人で出かけて田に埋もれ死に、田面に笠だけ浮いていた」という言い伝えを聞いたことがある。膝の上までつかったり、田下駄をはいた農作業は、今日ではほとんど見られないが、そうした強湿田は、かつて関東以北や日本海側の諸県には広かった。」

おそらく稲刈りの時には、足を滑らせないように田下駄をはいたり、やはり田植えの時と同じように、竹や松の丸太の上に載って、農作業をしていたのだろうと推察されます。
足場の悪い湿田の中で胸までつかって、危険な農作業に従事していた江戸時代の農家の人たちに対して、改めて敬意と憐憫の情を表したくなりますね。
投票数:41 平均点:10.00

投稿者:Perenna 投稿日時 2021/3/28 1:47
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「湿田、深田」のキーワードで画像を探してみたら、新潟県白根郷や亀田郷の写真が見つかりました。
https://suido-ishizue.jp/kokuei/hokuriku/Prefectures/1513/1513.html

「田下駄」や「カンジキ」を履き、腰まで水につかる深田での田植えや、「田ソリ」や「田舟」を使っての稲刈りは、かなり過酷な農作業だったらしいです・・・
昭和20年代でも、このような深田で農作業をしていたのですから、江戸時代のころは、もっと悲惨で過酷な労働環境だったのでしょうね。
投票数:39 平均点:10.00

投稿者:Perenna 投稿日時 2021/10/15 0:56
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この昔話と似たような話で、横浜市に伝わる「おこんどぶ」という話があります。
「ふるさとの民話8・神奈川県の民話」に収録されています。
「横浜の日吉は大むかしには海の底で、あのあたりでは綱島だけがぽっかりうかんでいたんだと。
海がだんだんにしりぞいて、陸になったが、じめじめした沼地でアシがおいしげっていた徳川時代のおわりには、こんなところにも田んぼがひらかれた。
田んぼといっても、ひどいどぶっ田でね。なにしろ三メートルもの青竹をさしてみても、しずんでしまうという底なしだ。
田うえするにも丸太を井げたにくんでしずめ、それにのってしたもんだ。
そんなどぶっ田のひとつに〈おこんどぶ〉とよばれる田があった。その田にだけ、どうしてこんな名まえがついたかというと、それにはかわいそうな話があるんだよ。」という書き出しで始まっています。
「深んぼのすげがさ」のお嫁さんと同じように、おこんという若い女性が田植えをしている最中に足を踏みはずし、どぶっ田の底へと沈んでしまう話です。
江戸時代のころには、このような底なしの湿田や深田で命を落とした方たちが、たくさんいたらしいですね。
似たような農村の哀しい昔話は、全国各地にも人知れず、語り伝えられているのではないでしょうか?
投票数:34 平均点:10.00

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