Re: 夢地蔵

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昔、埼玉の比企(ひき)の高坂という所に、怠け者の長太という百姓がおったそうな。 長太は毎日子供らに小博打をけしかけて遊んでおり、自分の田んぼの田植えをしようともせんかった...…全文を見る

Re: 夢地蔵

投稿者:ゲスト 投稿日時 2016/1/13 15:00
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正法寺(しょうぼうじ)は、埼玉県東松山市岩殿1229にある真言宗智山派の寺院である。山号は巌殿山。坂東三十三箇所の十番札所である。一般には岩殿観音の通称で知られる。
寺伝によれば養老2年(718年)に、沙門逸海が千手観音像を刻み開山し正法庵と称し、鎌倉時代初期に源頼朝の命で比企能員が復興した。頼朝の妻北条政子の守り本尊だったと伝わっている。天正2年(1574年)に栄俊が中興開山となる。天正19年(1591年)に、徳川家康より寺領二十五石の朱印地を与えられる。
岩殿丘陵の最東端に位置し、物見山のすぐ隣にあるため、寺は急傾斜地を切り崩したような場所にあり、山寺の雰囲気を持つ。
観音堂 養老年間の創建と伝える。寛永、天明、明治と3回再建され、現在の建物は明治11年(1871年)の建立である。本尊の千手観音は、室町時代の作と伝えられる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E6%B3%95%E5%AF%BA_(%E6%9D%B1%E6%9D%BE%E5%B1%B1%E5%B8%82)

田村麻呂への霊験
「雪見峠」という地名があるが、その 昔、比企の山中に悪龍が住み、村人たちに害を加えていた。たまたま奥州征討に向かう坂上田村麻 呂将軍の一行が通りかかったので助けを求めた。 そこで田村麻呂はこの岩殿山の観世音に冥助を乞う祈願をこめたところ、時ならぬに大雪が降り、 そのため山頂より一カ所だけ雪の消えている所を発見した(峠の名の由来)。これぞ目指す悪龍の いる所と定め、観音さま授けの矢を射って討ちとったというのである。
田村麻呂へのこの霊験が聞こえ、延暦十五年 (七九六)宣旨があって堂宇が立派に整ったという。『岩殿山縁起』は、この伝承を重視し、多くの字数を費やしている。
http://www.bandou.gr.jp/10.htm

岩殿観音は坂東札所で、古来より信仰を集め、門前市をなしました。戦国時代には武田勢の松山城攻めの時の本陣が置かれたということです。
かつての門前市をしのばせる家並みが尽きると、目前に仁王門が迫ります。アジサイの咲き誇る石段を登りつめると、観音堂と大銀杏が目に入ります。相当古びた銅鐘と鐘楼もひっそりと佇んでいます。
  ※季節情報:正法寺の大イチョウは毎年晩秋になると黄葉します。
http://www.higashimatsuyama-kanko.com/15.html
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