笹無山

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昔、備前の国藤戸という寂しい漁村に漁師の親子が住んでおりました。息子の名は「与助」と言い、大変な孝行者でした。 平穏に暮らしていた親子でしたが、源平の合戦が激化して平家...…全文を見る

笹無山

投稿者:マルコ 投稿日時 2013/7/29 23:31
おそらく「通りすがり」さんのサイトかと思われるサイトに「笹なし山」詳細が書いてありました!!
マルコの書き込みやまんが日本昔ばなしデータベース情報が生かされていると知って、嬉しい限りです!!

以下、http://sodateru-amaki.blog.so-net.ne.jp/2012-11-01より引用

多津美中学校区「青少年を育てる会」 天城小支部
リレーメッセージ第29回 「笹無山」 [企画]

”山”とはいっても、実際は”丘”のようなもので、
私が中学生のときは、毎日「笹無山」の前を歩いて通学していました。
現在となっては、伝説として残されている「佐々木が憎けりゃ、笹まで憎い・・・」
といった怨念は微塵も感じられません。

実は、市原悦子さん・常田富士男さんの絶妙な語り口で有名となった
TV「まんが日本昔ばなし」の第1314回(平成4年2月15日)で、
この伝説「笹無山」はアニメとなって放送されています。
個人(紅子さん)のサイトではありますが、充実したデ-タベースですので、
参考にしてください↓
ttp://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=1314

『平家物語』(巻第十の一四「藤戸」)

源氏 `安からぬ事なり `いかがせん `といふ処に近江国の住人佐々木三郎守綱二十五日の夜に入りて浦の男を一人語らひ直垂小袖大口白鞘巻などを取らせ賺し仰せて `この海に馬にて渡しぬべき所やある `と問ひければ男申しけるは `浦の者共幾らも候へども案内知つたるは稀に候ふ `知らぬ者こそ多う候へ `この男は案内よく知つて候ふ `たとへば川の瀬のやうなる所の候ふが月頭には東に候ふ月の末には西に候ふ `件の瀬のあはひ海の面十町ばかりも候ふらん `これは容易う御馬などにて渡させ候ひなんず `と申しければ佐々木 `いざさらば渡いてみん `とてかの男と二人紛れ出でて裸になり件の川の瀬のやうなる所を渡つて見るにげにもいたう深うはなかりけり `膝腰肩に立つ所もあり鬢の濡るる所もあり `深き所を泳いで浅き所に泳ぎ着く `男申しけるは `これより南は北よりは遥かに浅う候ふ `敵矢先を揃へて待ち参らせ候ふ処に裸にてはいかにも叶はせ給ひ候ふまじ `ただこれより帰らせ給へ `と云ひければ佐々木 `げにも `とて帰りけるが `下臈は何処ともなき者にてまた人にも語らはれて案内もぞ教へんずらん `我ばかりこそ知らめ `とてかの男を刺し殺し首掻き切つてぞ捨ててける ・・・

『平家物語』の後日談を基に、後に世阿弥の作ともいわれる謡曲「藤戸」では、
殺された男の母を登場させ、いつの時代も変わることのない我が子を思う母の心を、
また戦の陰で罪も無く死んでいった男の哀れさを描き出しています。
しかし、「藤戸」の最大のテーマは、”許し”ではないでしょうか。
恨みで悪に化身しながらも、弔われてやがて静かに死を受け入れ、盛綱を許す

ありがたいことに
「笹無山」は地域の有志の方により、定期的に草刈り等が行われており、
「笹”無”山」が維持されています。


伝承つながりで言うと、
殺された男の遺体が留まったとされる「浮州岩」が
京都 醍醐寺 三宝院にある天下の名石「藤戸石」(中段のあたり)
となっている経緯については、こちら↓ を参考にしてください。
ttp://www.kyoto-np.co.jp/info/sightseeing/mukasikatari/071120.html

以上、まったく歴史の素人ということで、誤り等がありましたら、ご容赦ください。
しかし、これだけの歴史が残っている地域は、そう多くありません。
青少年を育てる会では「ふれあいウォークラリー大会」等を通じて、
みなさんとともに郷土の歴史や地理を楽しく学習していきたいと考えています。
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