Re: 笹無山

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昔、備前の国藤戸という寂しい漁村に漁師の親子が住んでおりました。息子の名は「与助」と言い、大変な孝行者でした。 平穏に暮らしていた親子でしたが、源平の合戦が激化して平家...…全文を見る

Re: 笹無山

投稿者:Perenna 投稿日時 2021/2/16 0:20
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この昔話に関係する「藤戸石」というものが、京都の醍醐寺・三宝院に現存しているそうです。
「日本の伝説1・京都の伝説」(角川書店)には次のように書かれています。
「この石は、名前が示すように岡山県倉敷市の藤戸にあった。源平両軍が、当時狭い水道だった藤戸で戦った時、源氏の部将佐々木盛綱は、土地の男からあらかじめ海の浅瀬を聞き出し、戦の当日まっさきに対岸の平軍の陣へ押し寄せて、海を馬で押し渡ったのは佐々木三郎が初めてだと、大いに武名を高めた。
この時盛綱は、浅瀬の秘密を他人に知られたくないので、教えてくれた男を浮州の岩の上で刺し殺した。その岩が藤戸石だといわれている。
そうした故事がある上に名石だったので、いつか京都へ移されて庭石に使われるようになった。室町時代は細川氏の庭にあり、信長が二条御所を造った時に移した。それを秀吉が聚楽第に取り入れ、さらに三宝院へすえたわけである。」

京都にある藤戸石には、亡くなった漁師の母子の怨念や祟りみたいなものが、いまだに残っていたりするのでしょうかね?
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