真岡の宗光寺バージョンの「鬼のつめ」について・・・。

鬼のつめ についてのコメント&レビュー投稿
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真岡の宗光寺バージョンの「鬼のつめ」について・・・。

投稿者:マルコ 投稿日時 2012/12/19 23:20
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『鬼の爪』
応永の昔、砂ヶ原の里(栃木県芳賀郡二宮町)に横足久左ヱ門という者が住んでおりました。強欲で人一倍馬力があるので、村人は誰一人として相手にしませんでした。

やがて不治の病にかかり亡くなった久左ヱ門を村人は「いくら悪人でも死んでしまえば仏様だべ。身寄りもないかわいそうな人間だからお墓に葬ってやっぺ。」と、その亡骸を菩提寺に葬ることになりました。時の宗光寺の住職頼真僧正は、慈悲深く、観音様の化身といわれるほどの高僧でした。

野辺送りの途中の出来事でした。ちょうど堀込村と太田村との境にある橋のところにさしかかろうとした時です。不思議なことに、今まで雲一つ無かった晴天が突如一天にわかにかき曇り、篠突くような雨が降り出し、雷音が轟き稲妻が光りました。

誰かが「あ!」と叫んだ一瞬、黒雲の隙間からものすごい形相の赤白二匹の鬼が飛び出し、久左ヱ門の亡骸を奪おうとしました。頼真僧正は、すぐに真言を称え、右手に持っていた独鈷で赤白の鬼を叩き落としました。赤鬼はその独鈷を食い切ろうとしましたが、僧正の法力には勝てず爪を落として退散してしまいました。葬列は無事に橋を渡り、宗光寺の墓地に埋葬されました。

この橋は「咎の橋」(とがのはし)と名付けられ横足久左ヱ門の名は平成の世まで鬼の爪と共に語り伝えられており、食いちぎられた独鈷と「鬼の爪」は、宗光寺の秘宝箱に現存しています。


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