真岡周辺には「鬼のつめ」の話の候補地がいっぱいある!!

鬼のつめ についてのコメント&レビュー投稿
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真岡周辺には「鬼のつめ」の話の候補地がいっぱいある!!

投稿者:マルコ 投稿日時 2012/12/19 23:16
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「宗光寺の鬼のつめ伝説」
宗光寺は、天海大僧正が住職をしていたこともある格式の高いです。昔、砂ヶ原に久左ェ門という大悪人が住んでいましたが、悪運尽きてとうとう死んでしまいました。そこで、村人たちは宗光寺に葬ってやることにしました。ところが、その葬式の途中の事であります。晴れていた空が急に暗くなり、赤白二匹の鬼が現れて左ェ門の死体を奪おうとしました。これを見た宗光寺の住職・頼真僧正は、真言を唱えつつ独鈷を持って鬼を突き落としました。宗光寺にある『鬼のつめ』はその時のものだそうです。

「宗光寺の歴史」
嘉祥元年(808年)慈覚大師により開かれ、伏見天皇より 「新御堂山円頓止観院宗光寺」(しんみどうさんえんどんしかんいんそうこうじ)の勅額を賜っている別格本山の格式をもつ名刹です。長沼宗政公が主君源頼朝公の本願により鎌倉大御堂を模した新御堂を当地に建立しました。

のちに長沼宗光公が長沼氏の菩提寺として宗光寺を中興し比叡山より盛海僧正を迎えています。大正年間、当寺は下妻城主の多賀谷氏により堂塔が破壊される法難に遇い、久下田の地に移りましたそして水谷蟠龍の外護のもと新宗光寺として出直すこととなります。時の住職亮弁僧正は、長沼の地に宗光寺の復興を試みましたが、力およびませんでした。

慶長8年(1603)宗光寺20世の住職となった天海大僧正の尽力によって、当寺は旧地長沼に再興されました。そして僧正寺の格式をもつ談林(学問所)として多くの名僧を世に出し、また末寺308ケ寺をもち、天台宗においてその地位はゆるぎないものとなります。

明治の大火により焼失した伽藍は、近年再建立され、別格本山にふさわしいものとなりました

「鬼のつめ」のお話の候補地の一つである『海潮寺』について・・・。
海潮寺の創建は永正7年(1510)天英祥貞が開山したと伝えられています。当初は大田和村吹上にありましたが大永年代(1521~27)に現在地に移し寺名を宝珠院から海潮寺に改名しています。中世、真岡を中心に周辺を支配していた芳賀氏代々の菩提寺として庇護されていましが、主家である宇都宮氏が突然改易(御家騒動説や石高不正説などがある。)、芳賀氏も連座し所領没収となりました(芳賀氏は山形県にある出羽三山の出羽神社を頼り離散したそうです。)。海潮寺は庇護者を失い一時衰退しますが、江戸時代に入ると幕府から庇護され慶安元年(1646)三代将軍徳川家光から20石の朱印状を受け取っています。境内にある山門は文化3年(1806)に建立された古建築物で三間三戸の八脚楼門、入母屋、大谷石瓦葺で、特に大谷石の瓦で葺かれた屋根は類例が少なく貴重な存在として栃木県指定重要文化財に指定されています

 ・ 海潮寺山門(楼門) - 文化3年 - 栃木県指定重要文化財
 ・ 海潮寺御霊屋 - 文化年間 - 真岡市指定有形文化財
 ・ 芳賀禅可入道高名像 - 室町時代 - 真岡市指定有形文化財
 ・ 竹垣君徳政碑 - 江戸時代 - 真岡市指定有形文化財


まあ・・・どのお寺も真岡では格式のある、名高いお寺さんのようですね・・・。
『鬼のつめ』伝説は『円通寺』だけではなくて『宗光寺』や『海潮寺』にも伝わっているって事だけでも覚えておいてください!!
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