No.0778
たぬきぶね
たぬき舟

放送回:0489-A  放送日:1985年03月30日(昭和60年03月30日)
演出:岩崎治彦  文芸:沖島勲  美術:西村邦子  作画:岩崎治彦
和歌山県 ) 17221hit
淡路の柴右衛門タヌキが恩返しをする話

昔、和歌山の加太という海辺の村に、年老いた漁師の夫婦が住んでいた。二人の船はとても古く、乗っている間に少しずつ水が漏ってくるので、手桶でかき出さないといけなかった。

今日も魚を捕りに沖へ漕ぎ出だしていると、沖でおぼれているタヌキを見つけた。このタヌキは淡路島の柴右衛門狸で、酔っぱらってうっかり海に落ち、ここまで流されてきたという事だった。柴右衛門はすっかり元気を取り戻し、翌朝、老夫婦が目を覚ます前に姿を消した。

やがて北風が吹く頃になると、お爺さんは山に薪(まき)を切り出しに行った。この年はあまり薪になる木がなく、売りに行くほどの量は取れなかった。困っていた老夫婦の所に、夜になると沢山の薪が届くようになった。お爺さんがこの薪を町で売ると、火付きが良いという事で飛ぶように売れた。それからも毎晩毎晩、薪が届けられ、それが冬の間ずっと続いた。

やがて春になり「薪の送り主がいったい誰なのか」と老夫婦が見張っていると、あの柴右衛門がやって来た。柴右衛門は「もう春になったから淡路に帰ります、今日で薪は最後です」と言って去って行った。さらに、柴右衛門は新しい船もプレゼントしてくれたので、この老夫婦は魚も沢山捕れるようになった。

(紅子 2011-12-14 18:44)


ナレーション市原悦子
出典和歌山県
場所について和歌山の加太(地図は適当)
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地図:和歌山の加太(地図は適当)
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※掲載情報は 2011/12/14 18:44 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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モチモチ寸  投稿日時 2018/4/17 17:13
この話を見た後に「柴右衛門だぬき」を観たらどうなることやら…
ゲスト  投稿日時 2015/11/1 19:58
加太町(かだちょう)は、和歌山県にあった町。旧海部郡。
歴史
江戸時代、紀伊和歌山藩に属していた。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、海部郡 加太浦、大川浦、深山村 が合併し 海部郡加太村が成立。
1896年(明治29年)3月26日 - 海部郡が名草郡と合併して海草郡となる。
1899年(明治32年)4月1日 - 加太村が町制施行して加太町となる。
1958年(昭和33年)7月1日 - 市町村合併により和歌山市へ編入。
加太について
 加太は和歌山市の北西に位置し、また東西に走る和泉山脈の西端に、あります。世帯数は約1600世帯、人口が約4000人の町です。
大和時代には、紀ノ川北岸沿い通る南海古道の最終点となっていたことが古書にもみられ、大和朝の文化圏にも属していた古い歴史を持つ土地でもあります。以後、大阪・江戸間の回船の寄港地として、また中国四国地方を結ぶ用地として栄えてきました。
近年は、観光地として特に昭和42年、友ヶ島が瀬戸内海国立公園に指定され、脚光をあびるようになりました。雛流しで有名な淡島神社や、海を渡るとキャンプ場などがある友ヶ島もあり、観光スポットとして注目をあびています。
また古来より漁業もたいへんさかんな地域です。特に「真タイ」の一本釣りが有名です。
加太の人々は、海と山に囲まれた静かな環境にあり、自然と共に生活しています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E5%A4%AA%E7%94%BA
ゲスト  投稿日時 2015/11/1 19:26
=柴右衛門狸 を介抱し助け、お爺さんお婆さん共に一夜を過ごした 沖ノ島=
友ヶ島(ともがしま)は紀淡海峡に緩やかな曲線を描いて浮かぶ神島、地の島、沖ノ島、虎島の四島を合わせた総称(友ヶ島という単独の島は存在しない)で定期船の着く沖ノ島の最高峰、コウノ巣山(120m)には1等三角点が埋設されています。加太港からの観光船で20分、沖ノ島の野奈浦桟橋に降り立つとそこはもう南国の楽園。少し前までは電気も自家発電でまかなっていた自然のままの島です。友ヶ島は第2次大戦の終わるまでは旧日本軍の軍用地で一般の人は立ち入ることが出来ませんでした。島内には大戦中の施設も多く残され6カ所の砲台跡のほか紀伊防備隊の海軍聴音所、弾薬庫、軍馬舎、将校官舎、厠なども当時の面影を偲ばせてくれます。また、島内の歩道はほとんどがかつての軍用道路で、今も舗装されていない風情ある道路で島内を巡ることが出来ます。
http://www.kada.jp/kankou/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8B%E3%83%B6%E5%B3%B6
ゲスト  投稿日時 2015/11/1 18:39
芝右衛門狸
淡路島(あわじしま)の洲本(すもと)の町を見守るように、背後にそびえる三熊山(みくまやま)。この山に住むという狸が芝右衛門狸(しばえもんだぬき)である。芝右衛門狸は、佐渡島(さどがしま=現在の新潟県佐渡市)の団三郎狸(だんざぶろうだぬき)、讃岐国屋島(さぬきのくにやしま=現在の香川県高松市)の禿狸(はげだぬき)とならんで、日本三名狸にあげられる有名な狸だ。なお、「芝右衛門狸」は「柴右衛門狸」とも表記されるが、ここでは古い文献の表記を尊重して、「芝右衛門狸」で統一したい。
三熊山の山頂部には、中世の安宅(あたぎ、「あたか」とも言う)氏の城に由来するとされる洲本城がある。現在は、江戸時代はじめに脇坂安治(わきざかやすはる)が築いた石垣が残る。大坂夏の陣以降、淡路国は蜂須賀(はちすか)氏の阿波国(あわのくに=現在の徳島県)徳島藩領となり、寛永12(1635)年から重臣の稲田(いなだ)氏が城代として洲本に入る。しかし、稲田氏時代の洲本城は山麓部に築かれたもので、三熊山の山頂部は使われていなかった。現在は、1928(昭和3)年に昭和天皇即位式に合わせて建設された模擬天守閣が、町を見下ろしている。
三熊山の芝右衛門狸の祠: 主郭跡の片隅には、芝右衛門狸をまつる祠(ほこら)があり、中には狸像がまつられている。
http://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/historystation/legend3/html/010/010.html
ゲスト  投稿日時 2015/11/1 18:20
「ぼた餅地蔵」大川峠を南に行ったらのお話の舞台の加太です。
このお話もほのぼのするいい話ですね。
狸の恩返しでしょうか。
ところで新しい船はどこからきたのでしょうか?
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