加太町(かだちょう)は、和歌山県にあった町。旧海部郡。
歴史
江戸時代、紀伊和歌山藩に属していた。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、海部郡 加太浦、大川浦、深山村 が合併し 海部郡加太村が成立。
1896年(明治29年)3月26日 - 海部郡が名草郡と合併して海草郡となる。
1899年(明治32年)4月1日 - 加太村が町制施行して加太町となる。
1958年(昭和33年)7月1日 - 市町村合併により和歌山市へ編入。
加太について
加太は和歌山市の北西に位置し、また東西に走る和泉山脈の西端に、あります。世帯数は約1600世帯、人口が約4000人の町です。
大和時代には、紀ノ川北岸沿い通る南海古道の最終点となっていたことが古書にもみられ、大和朝の文化圏にも属していた古い歴史を持つ土地でもあります。以後、大阪・江戸間の回船の寄港地として、また中国四国地方を結ぶ用地として栄えてきました。
近年は、観光地として特に昭和42年、友ヶ島が瀬戸内海国立公園に指定され、脚光をあびるようになりました。雛流しで有名な淡島神社や、海を渡るとキャンプ場などがある友ヶ島もあり、観光スポットとして注目をあびています。
また古来より漁業もたいへんさかんな地域です。特に「真タイ」の一本釣りが有名です。
加太の人々は、海と山に囲まれた静かな環境にあり、自然と共に生活しています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E5%A4%AA%E7%94%BA