No.0568
せんだづか
千駄塚

放送回:0356-A  放送日:1982年08月28日(昭和57年08月28日)
演出:若林常夫  文芸:沖島勲  美術:門屋達郎  作画:若林常夫
写真あり / 栃木県 ) 13313hit
あらすじ

昔、下野(しもつけ)に、牧の長者という骨董好きな大金持ちが住んでいました。その頃、陸奥の国にもたいそうなお金持ちの商人がいて、貴重な荷物を運ぶ途中、長者の屋敷に一晩泊めてもらう事になりました。長者と商人は、お互い和やかにご馳走をいただきながら、お互いが好きな骨董話に花を咲かせていました。

やがて、長者が持っている不思議な「鶏の掛け軸」の話になりました。この鶏の掛け軸は、巨勢金岡(こぜのかなおか)が書いた名品で、夜明けになると鳴くという不思議な物でした。この話を信じられなかった商人は、この話が本当かどうか、商人の荷物で賭けをすることにしました。

しかし商人の予想ははずれ、翌朝に本当に鶏が鳴く声を聞きました。商人は約束通り千駄(千頭の馬)の荷物を牧の長者に与えて、すごすごと陸奥の国へ引き返していきました。貴重なろう(ソウロクの蝋)を全部とられた商人は、悔しくてたまりませんでした。

それから何日かたって、再び商人が千駄の荷物を引いて長者の屋敷に現れました。「もう一度、鶏が鳴くかどうか、この千駄の荷物と賭けをしたい」と申し出た商人に対して、長者は快く賭けに乗りました。その晩、商人はこっそりと掛け軸の鶏の首に、深々と釣り針を刺しこみました。翌朝、鶏は鳴かず、賭けに勝った商人は荷物を取り返し、代わりに馬に乗せてきた瓦の破片(かわらけ、つまりガラクタ)を置いて揚々と帰って行きました。

長者は、商人が去った後に鶏の首に針で刺された傷跡を見つけ、商人の悪巧みだったことに気が付きました。「つまらない賭けにのったばかりに、かわいそうなことをした」と自分を戒めた長者は、商人が残していったかわらけで小高い塚を築きました。その後、この塚は「千駄塚」と呼ばれるようになりました。

(紅子 2012-2-17 19:54)


ナレーション市原悦子
出典栃木県
備考商人が刺した針は、山佐知毘古という神様が海で無くしたという釣り針。
DVD情報DVD-BOX第12集(DVD第57巻)
現地・関連お話に関する現地関連情報はこちら
場所について栃木県小山市千駄塚
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地図:栃木県小山市千駄塚
追加情報
講談社の300より書籍によると「栃木県のお話」
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※掲載情報は 2012/2/17 19:54 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
7件表示 (全7件)
マルコ  投稿日時 2014/2/22 20:12
栃木の語り部 栃木語り部の会では栃木の民話を聞ける企画を多く行っています。栃木県立博物館では、ときどき、栃木のいろんな地域の語り部さんたちがいらしゃって話を聞かせてくれるようですよ。

もしも、本気で昔話について調べたいなら、こういう会に参加してお話を聞かせていただいたり、質問してみるのも良いと思います。

栃木の語り部  栃木語り部の会サイト

http://cc9.easymyweb.jp/member/mukasi-tochigi/default.asp

昔、むかしの話だ。
安房神社のそばに、牧の長者という大したお大尽様がいた。広い屋敷にはいくつもの蔵がずらりと立ち並んでおったと。
ある時、陸奥の国から来た商人(あきんど)がここを通りかかった。珍しい蜜蝋や漆の入った千駄の荷物を馬に積んで鎌倉に向かう途中だったが、日が暮れてしまったのでこの長者の屋敷に泊めてもらったと。
その夜、長者と商人は酒を酌み交わしながら話しに花が咲いた。はじめは商人の旅の話を聞いていたが、そのうちに長者が自慢話を始めたと。
「わしの家には、白い鶏の掛け軸があって、毎朝コケコッコーと、時を告げるんだ」
「嘘つくんじゃねえ。絵に描いた鶏が鳴くわけねえ」
「嘘じゃねえ、本当のこった」
「いや、嘘だ」
いい争っているうちにむきになった商人は、
「絵に描いた鶏が鳴くなんてことある訳ねえ。明日(あした)の朝、鶏が本当に鳴いたら、馬に積んできた千駄の荷物、全部くれてやる」
と、馬千頭に積んできた蜜蝋や漆を賭けてしまったと。
その夜、床の間には、宝物の絵が掛けられ、長者と商人は枕を並べて寝たと。
次の朝のことだ。
「コケコッコー」という鶏の鳴き声に、商人は、たまげて目えさました。
ねむい目こすりこすり床の間見ると、白い鶏が生きているみてえに、うすっくらい中に浮かび上がっていて、もう一声「コケコッコー」と鳴いたと。
 商人はすっかり恐れ入って、約束どおり、千駄の荷物を置いて、空馬引いてとぼとぼ帰って行ったと。

 さて、その次の年、商人がまた、馬に千駄の荷物を積んで長者の屋敷にやってきた。商人は長者に、
「昨年はいいものを見せてもらった。だけんど、里へ帰ってから誰に話しても相手にされねえ。夢でもみたんじゃねえかって思って・・・。すまねえが、もう一度見せてくれねえか。もし、掛け軸の絵の鶏がほんとうに鳴いたら、持ってきた千駄の荷物をまた置いていこう。でも、もし鳴かなかったら、去年の荷物の蜜蝋や漆を、全部返してくれろ」
と言ったと。
「ああ、分かった、分かった。何度でも見せてやろう」
長者は承知した。
 その夜、床の間には、宝物の掛け軸が掛けられ、長者と商人は枕を並べて寝たと。次の朝、遠くで、コケコッコーと他の家の鶏が鳴くのが聞こえたのに、どうしたことか、掛け軸の鶏は、明るくなっても鳴かなかった。
「やっぱり、鳴かなかったでねえか」と言うと、商人は約束どおり、昨年置いていった蜜蝋や漆の入った千駄の荷物を取り返して馬に積むと、
「今年持って来た荷物はしばらく預かってといとくれ」
と言って、馬引いて笑いながら帰っていったと。
 後で長者が宝物の絵をよく見てみると、鶏の首のところに針を刺した穴が開いていたんだと。してやられたと思ったがあとのまつり。商人はそれっきり、二度と長者の屋敷に来ることはなかったと。商人が残していった荷物を長者が開けてみると、中は籾殻や瓦っかけばっかりたんだと。
 長者はこの荷物を埋めて塚を築いた。これが今に伝わる千駄塚なんだとさ。         おしまい。
マルコ  投稿日時 2013/8/24 17:55
この話に名前が登場する巨勢 金岡を調べてみました。

彼の書いた鶏の掛け軸は夜明けになると鳴くという不思議な物だったという伝説もそうですが、作品が生きて動き出す・・・という伝説?を数多く残している絵描きさんです。

まんが日本昔ばなしでも巨勢金岡といえば「筆捨ての松」の登場人物として登場してきます!!

巨勢 金岡(こせ の かなおか、生没年未詳)は平安時代前期の宮廷画家。巨勢有行または采女正・巨勢氏宗の子とする系図がある。官位は従五位下・采女正。

経歴
中納言・巨勢野足を曾祖父に持つ少壮貴族の出身であったが、その豊かな画才を朝廷に認められ、宇多天皇や藤原基経といった権力者の恩顧を得て活躍した。貞観10年(868年)から同14年(872年)にかけては宮廷の神泉苑を監修し、その過程で菅原道真や紀長谷雄といった知識人とも親交を結んだ。

日本画独自の様式を追求・深化させ、唐絵の影響を脱した大和絵の様式を確立させた功労者とされる。またその子孫は、後世において巨勢派と称される画家集団を形成、宮廷画や仏画の分野において多大な影響力を発揮した。しかし、その作品は一切現存してはいない。

大阪府堺市北区金岡町には当地に住んでいたとされる巨勢金岡を祀った金岡神社が鎮座し、神社の東北東200mの場所には巨勢金岡が筆を洗ったとされる「金岡淵」がある(現在は埋め立てられて広場となっている)。巨勢金岡の名前が、付近の地名「金岡町」や大阪府立金岡高等学校の校名の由来となっている。

http://www.norichan.jp/jinja/shigoto/kanaoka.htm
に金岡神社の詳しい情報有ります!!

兵庫県伊丹市には「清水」と言う地名があり、巨勢金岡が絵を描く際に現在の「清水3丁目」付近で取水したことが由来となっている。また、この付近に端を発する水路が「金岡雨水幹線(通称:金岡川、金岡排水路)」と呼ばれている。

系譜
父:巨勢有行または巨勢氏宗
母:不詳 男子:巨勢公望
男子:巨勢公忠
養子:巨勢相覧 - 実は金岡の甥、子孫は大神神社社家

とありました。

巨勢金岡の墓というのが岡山の岡山市立西大寺小学校と中学校の間にあるみたいです。

https://maps.google.co.jp/maps/ms?ie=UTF8&oe=UTF8&msa=0&msid=104677143049587251801.00046c6a635b420117436
に詳しい場所が載ってます!!
マルコ  投稿日時 2013/2/8 0:24
小山市観光協会ホームページより引用
≪間々田地区大古墳群の主役≫国道4号沿いの千駄塚地区を西へ約100m入った所、こんもりとした森が千駄塚古墳だ。頂に富士山信仰の浅間(せんげん)神社を祀り、入口には鳥居が構える。別名「浅間山古墳」ともいわれる。千駄塚古墳群の中心墳ともいえ、北に宮内古墳群、南に牧ノ内古墳群を従え、この3つで間々田地区の一大古墳群を形成している。思川の段丘上に築かれた東日本最大級の大形円墳で、関東有数の大きさを誇る。直径は約70m、高さは約10mを測る二段築成。截頭円錐形(さいとうえんすいけい)の墳丘を幅15m?20mの周湟がめぐり、とくに西と北側にはっきりと残る。埴輪(はにわ)・葺石をともなわず、内部主体が未調査のため築造年代は不詳だが、古墳時代後期とみられる。墳麓には近くの古墳から出土した家形石棺が保存されている。昭和32年(1957)8月27日、石棺が考古資料、古墳が史跡として県の文化財に指定されている。空から見ると、木々が生い茂るまあるい形をした森だ。

名称千駄塚古墳 (センダヅカコフン)
.所在地〒329-0202栃木県小山市千駄塚144-1
.文化財都道府県指定史跡
.その他情報時代 :古墳
.お問合わせ0285-22-9668
マルコ  投稿日時 2012/5/27 22:58
ええっと・・・「実は古墳なんですよ」の情報というのはこの情報の出所とか、この古墳は何世紀の物だとか、そういうことですか?
この情報は「しもつけの伝説」栃木県連合教育委員会出版の本に書かれていた千駄塚の位置と「千駄塚の麓には近くの古墳から掘り出された家形石棺が置かれている」という情報を基にしてマルコがネットで探した結果、千駄塚=千駄塚古墳がわかったんです!!
もっと詳しいことが知りたいのであれば・・・「栃木県小山市 千駄塚古墳」で探せば色々わかりますよ~。



beniko  投稿日時 2012/5/27 13:35
マルコさん、情報提供ありがとうございます。
千駄塚ってアニメで見た印象ですと「千駄塚=小高い丘」かなあと思っていたのですが、古墳なんですか?ただの塚じゃあないんですね。

すいませんが、もう少し「実は古墳なんですよ」的な情報を教えてくれませんか?ちょっとアニメの塚と現状の古墳がつながらないです、よろしくお願いします。
マルコ  投稿日時 2012/5/27 12:48
マルコが千駄塚に行って思いました・・・意外と小さい!!お話の中ではムチャクチャ大きくて・・・野球ドーム?の様だったけど実際は違うのですね・・・。
塚の上に階段で上れますし、地元の方が整備してくれているおかげできれいでした!!
地図で印が付いている所の近くに「山神社」があります。その「山神社」がある森のような所が「千駄塚」です。
マルコ  投稿日時 2012/5/26 15:41
千駄塚というのは古墳で栃木県小山市千駄塚144-1にあり 古墳の頂上には浅間神社があるそうです。結構大きい古墳みたいで「東日本最大級の大形円墳」らしいです。
「しもつけの伝説」栃木県連合教育委員会出版の本に『千駄塚』の話と詳しい情報がありました。
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