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No.1392
しまをはこんだくろおに
島をはこんだ黒鬼

放送回:0884-B  放送日:1993年04月17日(平成05年04月17日)
演出:古宇田文男  文芸:沖島勲(シナリオ平柳益実)  美術:安藤ひろみ  作画:古宇田文男
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あらすじ

むかしむかし、遠い南の海にぽっかり浮かんだ鬼ヶ島があって、たくさんの鬼達がのんびり暮らしておった。鬼ヶ島から海を隔てたずうっと向こうには、土佐の国、久礼浦という漁師の村があって、近頃、その村から悲しい女の泣き声が鬼ヶ島まで聞こえてくるのじゃった。

不思議に思った鬼達は岩鏡に久礼浦で起こった出来事を映してみた。すると久礼浦では近頃海が荒れ、漁に出た亭主と子供を亡くした女が泣いておるのじゃった。鬼たちは貰い泣きし、久礼浦の港に岩を運んで波を防いでやろうと考えた。

「ようし、儂がやっちゃる。たとえ人間でも子を思う気持ちは鬼と同じじゃ。」と、大きな黒鬼が名乗り出た。黒鬼は大きな岩を二つ、鉄棒の両端に串刺しにして、肩に担いだ。黒鬼の小さな小鬼もその岩の上に乗ってついて来たそうな。

黒鬼が大岩を担ぎ、何人かの鬼がそれを支えながら、鬼達は久礼浦を目指して出発した。じゃが、久礼浦は遠く、風も出てきたため、鬼達は一人また一人と運ぶの を止めて鬼ヶ島に帰って行った。黒鬼は小鬼も連れて帰ってもらおうとしたが、小鬼は「おっとうと一緒に行く。」と言って聞かんかった。

こうして、日が暮れる頃には黒鬼と小鬼だけになってしもうた。やがて夜は更け、海はさらに荒れた。一人で運べると強がりを言った黒鬼じゃったが、鉄棒は重く 肩に食い込み、もう目も見えんようになっておった。黒鬼は最後の力を振り絞って、必死に久礼浦に向かって大岩を運んだ。

そうして、とうとう久礼浦の入口まで大岩を運んだ黒鬼は、そのまま海の中に沈んでしもうて、それっきり二度と姿を現すことはなかった。

「おっとう!おっとう!」小鬼は黒鬼を呼んで泣き続け、そのまま烏帽子岩という小さな岩になってしもうたそうな。

黒鬼が持ってきた二つの大岩は双名島と呼ばれ、鉄棒を突き刺した穴も残っているという。そうして今でも久礼の港を大波から守りながら、美しい姿を見せているということじゃ。

(投稿者: ニャコディ  投稿日時 2013-4-5 22:40)


参考URL(1)
http://kochi.michikusa.jp/newpage27.html
参考URL(2)
http://tosanosachi.blogspot.jp/2013/10/blog-post_6270.html
ナレーション市原悦子
出典市原麟一郎(未来社刊)より
出典詳細土佐の民話 第二集(日本の民話54),市原麟一郎,未来社,1974年08月30日,原題「双名島物語」,採録地「高岡郡」,話者「山野上順馬」
場所について高知県の久礼湾の双名島
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地図:高知県の久礼湾の双名島
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※掲載情報は 2013/4/6 13:50 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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ゲスト  投稿日時 2015/11/24 20:49
「海に沈んだ鬼」と同じ御話ですね。
ゲスト  投稿日時 2015/11/10 16:21
双名はまた博説の島である。いま里人の昔語りに耳を傾けよう。
「昔むかし、鬼ヶ島の鬼が、ある日、鉄棒の両端に大きな岩をつきさすと、全身に汗をかきながらこの久礼をさしてやって来た。何でもその岩は、鬼ヶ島の門であったが、久礼の港口が荒れると聞いて、わざわざ持って来たのだ。しかし、ここまで来ると、さすがの力自慢の黒鬼も、すっかり疲れてしまって、
『おおの。』
と、うなり声をあげたまま、海の上にぶっ倒れた。しかし、その時連れていた子鬼が、溺れそうになったのを見ると、我が子可愛さに最後の力をふるい起こし、子鬼をさし上げながら海の底に沈んでいった。危うく助かった子鬼は、親の情けにさめざめと泣きながら、いつまでもその場を離れようとはしなかった。かくして悲しみの幾年月かが過ぎて、遂にその子鬼は烏帽子の岩と化したのである。だから両方の岩とも穴が開いているし、そこらあたりを大野といいうのだ。」
博説には、古人の思想がこもっている。
純真素朴な我らの祖先
港口の荒波に、ともすれば苦しめられて、何とかして浪を防ぐ手だてはないかと頭をはたらかせた祖先
の魂が身近に感じられて、微笑を禁じえないものがある。
中土佐町史料「久礼読本」復刻版(平成22年3月 中土佐町教育委員会発行)より抜粋
http://www.mantentosa.com//sightseeing/see/futanajima/index.html#oni
ゲスト  投稿日時 2015/11/10 16:06
双名島の貴重な昔の絵や古い写真、いろいろな角度からの素晴らし写真が沢山載っています。

双名島
双名島の向かって右の島を沖の島、左を元の島と呼んでいます。
中央上の見える島が子鬼がいつかな岩になったという烏帽子岩(「おいし」とも言う)。
ふたつの島がコンクリートで陸続きになったのは昭和28年のことです。その後、昭和33年に沖の島に燈台が設置されました。
沖の島の燈台の下の祠に祭られている弁才天。花崗岩製の祠は宝暦8年(1758年)。『土佐州郡志』(1710年頃成立)は「弁才天島 在本島南一町許其間有通舟處」と記しています。
元の島に祭られている観音菩薩。現在は島の山腹に祭られていますが、その昔は島の山頂にありました。
久礼浦には久礼城跡等がある。久礼の町の中央の森は久礼八幡宮あり。
鰹船は必ず双名島の元の島の観音・沖の島弁天様に船上からお米、お酒をお供えして大漁祈願、航海の安全を祈願してから出漁します。
冬になり寒い朝にはこのように漁師が言う「川煙り」が立ちます。
http://tosanosachi.blogspot.jp/2013/10/blog-post_6270.html
ゲスト  投稿日時 2015/11/10 15:44
美しい島の写真が載っています。

双名島 中土佐町久礼
この島には次のような伝説があります。その昔暴風雨のたびに久礼浦の人々は大きな被害を受けていた、それを聞いた鬼が島の鬼が久礼浦の荒れるのを防ぐため大岩をオークに突き刺しここまで運んできたが、力尽きて「おおのといったまま倒れ海中に沈んでしまった」だから島には穴があいているし、その付近を「大野」と言ったのだ。(看板抜粋引用)
http://kochi.michikusa.jp/newpage27.html

鰹乃國土佐の一本釣りの町。久礼湾中ほどに羽をひろげたように浮かぶ二つの島。別名「比翼島」とも呼ばれ、久礼浦に暮らす者にとってはふるさとの 「原風景」であり、遠く離れて暮らしても、いつも思い浮かべる「心のふるさと」と して親しまれ愛されてきた島。 仲良く並ぶその風情に多くの歌人が一文を草している。陸側の観音島は観音様が祀られ、沖側の弁天島は弁天様がそれぞれ祀られている
土佐十景の一つとされる、 久礼湾にぽっかりと浮かぶ二対の島、「双名島」。昔むかし…大波に悩んでいた久礼の人々を助けようと、鬼ヶ島の鬼が2つの大きな岩を運んできたと伝わっている。 島と言っても防波堤で繋がっているので、灯台まで歩いて行けます。
https://ja.foursquare.com/v/%E5%8F%8C%E5%90%8D%E5%B3%B6/4f07d667e4b0fcefa7f2b9b8

大正九年にこの島に遊んだ大町桂月は、この島を「新式の夫婦岩」と呼んだそうです。
「人ならばうれしからまし 二名島 ふたつならびて万代までも」と詠んでいます。
ゲスト  投稿日時 2015/11/10 15:36
双名島伝説  高知県高岡郡・久礼 双名島
昔むかし、ある島で鬼達が仲よく平和に暮らしておったそうな。
ある日のこと、大将の赤鬼が島の鬼達に集合をかけたそうな。
大将の赤鬼が言うには、昨夜、人間が一生懸命に祈っているのを聞いたそうじゃ。
土佐の国の久礼浦(くれうら)という港があって、海が荒れるたびに波を受けて、たいへん困っておるという。
鬼達は困っている人間を助けるために、島の近くにある岩を港の入り口に持っていって波を防いでやることにしたそうな。
一匹の鬼が海に入り、その岩を思いっきり持ち上げようとしたがビクともしなかった。
力自慢の鬼達が次々と挑戦したが、岩は持ちあがらなんだ。
そこへ、一番の力持ちの黒鬼がやって来て、顔を真赤にしながらその岩を「ええーい」と持ち上げたそうじゃ。
するとほかの鬼たちも手伝って、久礼をめがけて岩を持ってすすんだそうじゃ。
しかし、なかなか久礼に着かず、そのうち、鬼たちはくたびれて、ひとりひとり、岩を運ぶのをやめていったそうな。
なんとまあ、久礼のことを言い出した大将の赤鬼までがいなくなってしもうたそうじゃ。
最後は、とうとう黒鬼親子だけになったそうな。
黒鬼親子は、体力の限界に近づいておったが、励ましあって頑張った。
そして、かすかに久礼の灯が見えてきたその時、二人は力つきて海の中へ沈んでしもうたそうな。
それ以来、この黒鬼親子が持ってきた大きな岩は「双名島」と呼ばれるようになり、今でも、久礼の港に美しい姿をみせているということじゃ。
http://www.ku-kai.org/futana.html
ゲスト  投稿日時 2015/11/10 15:27
いい鬼さんのお話ですね。出会えて嬉しかったです。
鬼の子孫だと言う伝説は各地に残っており、善良な鬼の伝説はそんな善き古代日本が思いうかびます。
鬼の子孫は、役行者、熊野大社の九鬼一族、吉備神社の鳴釜神事を司る温羅の子孫一族、等とかなり残っています。
西日本には鬼の伝説が大変多く、桃太郎(吉備津彦)に代表される大和朝廷とは別種の、鬼一族だったと思われます。
大和朝廷以降、鬼は敵対した関係からか悪者になっていきます。
節分で「鬼は外~」と。(なお、子孫である九鬼一族は「鬼も内~」と唱えます。)
そんな自分と同じ一族だった鬼の善き伝説が残っているとは嬉しくなるばかりです。
とてもいいお話です。
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