No.1058
まんじろく
マンジロク

放送回:0668-A  放送日:1988年09月24日(昭和63年09月24日)
演出:森川信英  文芸:沖島勲  美術:小出英男  作画:森川信英
茨城県 ) 9466hit
あらすじ

むかし、茨城県の八瓶山(やつがめやま)のふもとに小さな村があった。この村では地震が多く、村人たちは困っていた。

ところで、この村の村はずれにマンジロクという山のような大男がいた。マンジロクは仕事をするでもなく、毎日寝てばかりいた。マンジロクは腹が減ると起き上がり、縄をもって村の沼へ行き、そこで魚をとるのだった。そして、とった魚を石の上で焼いて食べ、腹がいっぱいになるとまた寝てしまうのだった。

ある日、マンジロクはいつものように沼に魚をとりに行くが、どうした訳か今日は一匹も魚がかからない。そうしているうちに、沼で大きな地震が起きた。マンジロクは沼の底で何が起きているのか不思議に思い、沼の中にもぐってみた。すると、そこには鯨の数倍もある大ナマズがいた。この大ナマズが沼の底で暴れていたため、地震が起こるのだった。さらに、大ナマズは大きな口を開けて沼の魚を食べていた。

沼の魚を大ナマズに横取りされて我慢が出来なくなったマンジロクは、大ナマズに向かっていった。しかし、いくら大男のマンジロクでも、鯨の何倍もある大ナマズには跳ね飛ばされてしまう。すると、マンジロクは沼から上がり、はじき飛ばされないように大岩を背負って、大ナマズを退治すべく再び沼にもぐった。

沼の底では大ナマズとマンジロクの激しい戦いが始まり、村には大きな地震が起きた。地震のせいで沼は土砂に埋もれてしまったが、マンジロクはお構いなしに大ナマズに挑む。マンジロクが大ナマズの頭に噛み付くと、大ナマズは頭が急所と見えて、急に死んだようにおとなしくなってしまった。安心したマンジロクは、いつもの癖でまた大ナマズの頭の上で居眠りを始めてしまう。

ところが、しばらくすると大ナマズが起きてまた暴れだしたので、村には大地震が起きた。困った村人は沼のふちまで行き、「マンジロク、マンジロク目を覚ませ。」と言った。村人の声が聞こえたのか、マンジロクは目を覚まし、大ナマズの頭に噛み付く。するとまた大ナマズはおとなしくなる。

それからというもの、地震がおきた時に「マンジロク、マンジロク目を覚ませ。」と村人が言うと、不思議と地震がおさまるのだと言う。

(投稿者: やっさん  投稿日時 2011-7-23 11:13)


参考URL(1)
http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/2361230.shtml
ナレーション常田富士男
出典日向野徳久(未来社刊)より
出典詳細茨城の民話 第二集(日本の民話72),日向野徳久,未来社,1978年12月05日,原題「マンジロク、マンジロク、目をさませ」,採録地「西茨城郡」,原話「飯村光子」
場所について八瓶山(茨城県西茨城郡七会村)
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地図:八瓶山(茨城県西茨城郡七会村)
追加情報
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※掲載情報は 2011/7/24 1:44 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
6件表示 (全6件)
愛善院  投稿日時 2016/8/5 18:28
「ダイダラボッチと治水」に関連する説話のなかで、さらに茨城という土地柄の象徴である「ナマズの頭」をも絡ませて聞かされるたいへん文学的な昔ばなしです。ただし、アニメ版のマンジロクは少し小さく描かれているようです。
ゲスト  投稿日時 2016/3/4 20:07
息継ぎはどうしてんだろう?
ゲスト  投稿日時 2015/10/27 16:28
七会村(ななかいむら)は、茨城県西茨城郡にあった村である。
2005年2月1日に東茨城郡常北町・桂村と合併し、東茨城郡城里町となった。これに伴い、県内で村のまま明治の町村制から平成まで続いた村がなくなった。合併するまで、長い間県内で人口最少の村だった。
歴史
江戸時代、常陸水戸藩 塩子村、小勝村、常陸笠間藩 下赤沢村、上赤沢村、徳蔵村、大網村、真端村 に属していた。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、徳蔵村,塩子村、小勝村、大網村、真端村、上赤沢村、下赤沢村の七村が合併して西茨城郡七会村が成立。これが七会の名の由来であり、その7つの村を合わせた領域が七会村の領域だった。7ヶ村とも七会村なき今も大字として名を残す。
2005年(平成17年)2月1日 - 東茨城郡常北町・桂村と合併して東茨城郡城里町が発足。七会村は廃止。これに伴い、県内で明治期の町村制施行で誕生した村が1度も合併をせずに名前を残しているのは五霞町(1996年に町制施行)のみとなった。(村のまま平成まで存続した村は七会村のみだった)
山:鶏足山、花香月山、高取山、八瓶山、高田山
河川:藤井川、塩子川、涸沼川、相川
寺:徳蔵寺、修多羅寺、仏国時
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E4%BC%9A%E6%9D%91_(%E8%8C%A8%E5%9F%8E%E7%9C%8C%E8%A5%BF%E8%8C%A8%E5%9F%8E%E9%83%A1)
ゲスト  投稿日時 2015/10/27 15:12
石仏294八瓶山(茨城)2010年12月27日 | 登山
八瓶山(やつがめさん) 八瓶供養塔(やつがめくようとう) 【データ】八瓶山 244メートル▼25000地図 中飯▼最寄駅 JR水戸線・笠間駅▼登山口 茨城県城里町の大沢集落▼石仏 八瓶山山頂
【案内】大沢集落の手前の狭い道端に「八瓶山登山口」の標識が立つ。近くに駐車スペースはない。山裾の無住の一軒家の左から尾根に取りつくのだが、生憎雑木を伐採したあとで道は消えていた。伐採地はすぐ終わり、踏み跡程度の急な道が山頂まで一直線に続く。陶製の祠がある先が山頂。祠には「寛文九年(1669)」、今から340年前に笠間市にあった「市原村」の「江幡」という人が造ったとの銘がある。狭い山頂には八つの瓶が円形に埋められている。糠漬けや梅干しなどを漬ける蓋のある茶色の瓶2944 2945 だ。蓋をあけるとそれぞれに水が溜まっていた。山麓に残る伝承では、雨乞い信仰の瓶だとか。その一角に、頭に不動明王の種字・カーンがある「奉再興八瓶供養塔」がある。「文政二己卯年(1819)」の再建であるから、もっと古い八瓶供養塔があったことを示している。建てたのは赤坂・小勝・塩子などの八瓶山山麓の集落と、少し離れた真幡・大網、そして山二つ越えた石寺集落の人達。高さ約1メートルもある供養塔は、小さな山からは想像できない大きなものだった。八瓶山の雨乞い信仰はそうとう広い範囲の人達に期待され、願いを込めて建てられた供養だったに違いない。
http://blog.goo.ne.jp/bosatu2014/e/fb60f3aa332a9738e3fc4649da0d1ef8
ゲスト  投稿日時 2015/10/27 14:49
茨城の山 八瓶山 344.49m  ・・・ 城里町 - 2009年9月 -
八瓶山は、標高344.5m、登山口から見上げる八瓶山は、山頂部分が黒木の森のように見え、ピラミダルな特徴をもった山です。山頂には八つの瓶(かめ)が円形に埋められてヤマタノオロチ伝説を髣髴させる山です。
県道225号下赤坂より北に大沢集落に抜ける林道を進むと、八瓶山登山口の案内板があります。登山口近くのビニールハウス前の路肩に駐車し、田圃を横切って廃屋の民家の脇の登山道を山頂まで直登します。
登山道は、刈り払われてはいますが、登るにつれて勾配が増してきます。ようやく傾斜が緩くなると小さい祠があり、ここを少し登ると三角点がある山頂に着きます。
山頂には、奉再興八瓶供養塔(文政2年)と書いてある岩があり、その前に昭和六十二年に改修された、小さい蓋付きの瓶が8個円形に埋められ、その奥に三等三角点と山頂の標識がありますが、展望は、木々に囲まれその間からわずかに見える程度です。

鶏足山(赤澤山)山頂に置かれていた案内文【弘法大師と鶏足山】にはつぎのようなことが書かれています。
 平安時代の弘仁年間(八一○年~八ニ三年)、弘法大師が布教のため百沢(峰)ある土地に寺を開こうと、この地にやって来ました。
 当時この地は、大干ばつが続いており村人が飢饉に苦しんでいました。そこで、弘法大師は村人をなんとか助けようと釣鐘型の山の頂で、酒を満たした酒瓶を八つ置き八大竜王に必死に祈りました。すると八大竜王がやってきて八つの頭をそれぞれの酒瓶に突っ込んで酒を飲み出し、満足した八大竜王は雨を降らせてくれたそうです。この雨のおかげで、-村人は飢饉から救われたと伝えられています。そして、弘法大師はこの釣鐘型の山を「八瓶山」と名付け、南山麓に徳蔵寺を建立しました。

また、八瓶山には、次のような話が伝わっています。
 むかし、むかしのお話です。今の七会村の徳蔵という所に、引布山という山があって、その山に水のいっはい入った八つの瓶がありました。そこで、この山のことを「八瓶山」ともよんでいました。
 さらに書籍「茨城の民俗」には、「八瓶山の主は八つの頭を持つ大蛇だった。若い女性がこの大蛇に次々飲み込まれるので、困った村人は大蛇に8つの瓶で作った酒を飲ませた。酔って眠ってしまった大蛇を、みんなで退治した。」という出雲神話にあるヤマタノオロチ伝説のような話も載っています。
http://www.geocities.jp/hc_nonbiri/ibarakiyama/htm/yatugamesan.htm
ゲスト  投稿日時 2015/10/27 14:44
 八瓶山(345m 茨城県七会村)
 「何のために八つの瓶が埋められているのか」
 栃木県との県境近くに来て、農道をよく注意していると小さい木札が登山口を教えてくれる。道路脇に車を停める(14:30)。
 田圃を横切って山道に入る。山裾は木がなく日当たりがよいので藪になり易いが、刈り払われている。ヒノキ林になると急登し山頂に着く。ヒノキ林の中である。
 小さい祠があり、少し登ると三角点があり最高点である (14:50)。
 一隅に岩があり、奉再興八瓶供養塔(文政2年)と書いてある。その前に小さい蓋付きの瓶が8個円形に埋められている。瓶は新しく埋められた感じである。
 次のような話がある。旱魃の年に弘法大師がこの山に八つの瓶を据え八大竜王を勧請し、雨乞いをしたところ雨が降り続いた。また別に八俣の大蛇伝承もあり、八俣の大蛇に飲ませた酒の瓶という伝説もある。
 北関東は出雲系神々を祀る神社が多いので、それに関わる出雲神話も伝わったのだろうか。
 ここに埋めてある瓶は小さく、我が家では梅干しを入れている瓶ほどの大きさだ。大蛇が頭を入れるには小さいようだが、でも大蛇の瓶は面白い。(15:20)
 同じ道を下るが、昨日か今日か、どなたが藪刈りをされるのか、伐られたコナラの枝が未だ瑞々しい。
http://homepage3.nifty.com/ishildsp/kikou/ibaragi2.htm
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