お浪草 についてのコメント&レビュー投稿
昔々、岐阜県柿野、西洞のミツボリ山には主が住むと云われていた。その麓の村に、お浪という大層美しい娘がいた。お浪は源三(げんざ)という村の若者を好いており、二人の仲は誰も...…全文を見る

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投稿者:ふじりゅう 投稿日時 2012/5/4 23:15
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この話は、岐阜県山県市柿野(旧 山県郡美山町柿野)が舞台のお話です。
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投稿者:beniko 投稿日時 2012/5/5 0:24
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地域情報を教えてもらってありがとうございました。個人的に気になっているのですが、みつぼり山っていうのは架空の山でしょうか?
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投稿者:ゲスト 投稿日時 2014/9/13 0:08
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子供の頃に見て
とても、怖くて悲しかった話だとは
記憶をしているのですが、
なんの話だったのかが分からず
ずっと気になっていました
25年の謎が解けました!
ありがとうございます!

夢枕に立った女が
「子供がもう七人もいます」
とか言っていた気がします
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投稿者:ゲスト 投稿日時 2015/9/29 11:05
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http://musubipc.exblog.jp/11445853/

山県市柿野地区
宝来峡 清らかな水の西洞川
主催の深山工房の石神みち子さん(85)
地元の民話「お浪草」を巧妙な語りで披露

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投稿者:ゲスト 投稿日時 2015/9/29 11:28
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西洞(にしぼら) (廃村)
所在:山県市柿野(かきの)
形態:谷沿いに家屋が並ぶ

 板取(いたどり)川の支流、柿野(かきの)川上流(西洞谷)に沿う。
 明治初年には47軒。柿野小学校西洞分校があり、主な生業に炭焼きや蒟蒻芋作りなどをして生活していた。明治年間には殆ど家の移動はなかったが、大正年間に7軒の移住がある。昭和に入ってからの移住は、浜松市へ6軒、滋賀県へ3軒。昭和40年代には8軒となる。
 分校の児童数も大正13年22名、昭和43年2名。44年休校、45年廃校。最後に残った7戸の家は、町の指導により大字富永(とみなが)へ集団移住。(町史)
 中心部には「西洞の人家分布図」の碑(写真。平成7.10建立。おそらく大正の移住が始まる前)があり、これによると上流より峠・戸立・桑平・中心部・坂下・洞・シケ洞の地域に分かれる。
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/21.Gifu/Miyama_Nishibora.html
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投稿者:ゲスト 投稿日時 2015/9/29 14:12
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鍾乳洞住居跡である九合洞窟 (くごうどうくつ)
 鍾乳洞住居跡である九合洞窟は、岐阜県山県市美山町谷合にあります。洞窟内から縄文時代や弥生時代の土器の破片が出土していることから住居跡といわれている。入口の幅約15m・奥行約30m・高さ約5m八畳洞と六畳洞がある。地域の人の言い伝えでは井戸と云われていた縦穴や抜け穴もあるという、洞窟の上の方へ二つの穴が開いている一つの穴は人が這って抜けられるがもう一つの穴は抜けられないようである。しかし、洞窟内で火を焚いていたことから煙を排出するための穴と考えられるが詳しくは分かっていない。
 戦後、洞窟が地域の子ども達の遊び場になっていたようです。洞窟の上の方へ這って穴を抜けたり、井戸と云われている縦穴に入ったりして遊んだそうです。
http://www.geocities.jp/npnfw960/sakura/miyama/4.htm


お浪 は、こんな所に行ったのでしょうか。
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投稿者:ゲスト 投稿日時 2015/9/29 14:54
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北山 岐阜県山県市柿野 標高 907.5m (最高点 927m)
西洞谷 → 中又の谷出合(登山口) 花がたくさん咲いている山道
http://flowerniwa.mond.jp/2007-h/kitayama-4-22/kitayama.htm
http://www.jalps.net/non/chuubu90_page2/kitayama.html
http://yamaaitele.digi2.jp/m-0007.html


ミツボリ山 と北山 は、
中又洞 = 中又の谷出合(登山口)
お浪の辿った道沿いに白い花が咲く
= 山道にたくさんの花が咲いている
とあり、合致点が多い。
ミツボリ山は 北山であり、相戸岳ではないかもしれない。
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投稿者:ゲスト 投稿日時 2015/9/29 19:05
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龍王山 三光寺(さんこうじ)
岐阜県山県市(旧山県郡美山町)富永671-1 にある真言宗醍醐派の寺院である。
伝承によれば、大同年間に弘法大師がこの地に滞在したことがはじまりとされ、江戸時代明暦年間(1656年頃)、春長律師が霊跡の再興を行っていた際、この地の武儀川(長良川支流)の渕で輝くものを見つける。村人とともに淵を探すと、薬師如来像、阿弥陀如来像、聖観音像の三体の仏像が埋もれていたという。これらの仏像を安置し、三光寺と名づけたという。
美濃三十三観音霊場第八番札所。美濃四国札所七十四番。
通称、山あじさいの寺、あじさい寺。境内には140余品種9千株の山あじさいが植えられ、この地方では最大規模という。6月初旬~7月初旬が見ごろである。この時期には毎年「あじさい祭り」が開催される。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%85%89%E5%AF%BA_(%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E5%B8%82)
http://sankouji.main.jp/


龍王山 ≒ ミツボリ山の竜
柿野 と 富永 は近いです。
柿野西洞集落の最後人々は富永に移住したそうです。
昔も移住した人々が竜を信仰していて「龍王山」と名前を付けたとも考えられます。
ここは竜 繋がりで、関連性があるやもしれません。
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投稿者:ゲスト 投稿日時 2015/9/30 18:09
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道端に落ちているお浪の手ぬぐいや櫛を辿っていくと、いつしかミツボリ山に入り、大きな穴の脇にお浪の草履があるのが見付かった。

この一文から、イザナギイザナミ神話の黄泉の国のお話の変形と解る。
また、 お浪(おなみ) = イザナミ から来ているかもしれない。
白い花 のくだりは、黄泉の国神話の原型である
ギリシャ神話 デメテルの冥界神話の 植物の育成繁茂の話しととてもよく似ている。
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投稿者:柿野在住者 投稿日時 2015/12/29 10:38
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九合洞窟ではないです。実は柿野にも洞窟があって水が溜まっていて進めないものやどこへ抜けているかわからない洞窟があります。
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投稿者:元西洞の住人です 投稿日時 2016/3/4 21:55
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祖父が元西洞の住人です。
西洞に有るミツボリは山掘で、サンボリは山の尾根を掘割った現状で我々は山掘とよんでいます。
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投稿者:ゲスト 投稿日時 2016/3/7 15:01
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元西洞の住人です 様

「祖父が元西洞の住人です。
西洞に有るミツボリは山掘で、サンボリは山の尾根を掘割った現状で我々は山掘とよんでいます。」

=教えて下さい=
ミツボリ とは、具体的な山の名前(場所名)ではなく、
「山の尾根を掘割った現状」の場所を全て、その様に呼んでいるということで良いのでしょうか?

また、「ミツボリ山の主」が祭られている場所、祠、神社 寺 等 在りますか?
この「お浪草」に関する史跡等在りましたらお教えください。
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投稿者:Perenna 投稿日時 2020/6/18 22:44
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この昔話は、未来社の「美濃の民話・第一集」にも収録されています。
「むかし、柿野という村に、咲いたばかりの水仙の花のような感じの、お浪という娘がおってのう、若い者んたあが、ひそかに「柿野小町」とうわさしとった。」という書き出しで始まっています。
西洞のミツボリ山という具体的な地名は書かれていませんね。
おそらくこのアニメは、地元の方が制作スタッフに投書をした話が元になっているのではないでしょうか?
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投稿者:ゲスト 投稿日時 2020/10/8 2:22
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山の主といえば、「山のぬしと煮た笹の葉」が強烈な印象がありますが、
要はただの人さらいなんでしょうか?
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投稿者:Perenna 投稿日時 2021/9/11 0:14
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この昔話は、「日本の伝説34・美濃・飛騨の伝説」(角川書店)にも紹介されています。
「ふたたび川に沿って戻り、市場という所で西から流れこむ川をのぼること三キロ、美山町の柿野に入る。この村に柿野小町といわれたお浪という娘がいた。源三という若者と好き合った仲となり、祝言の日取りも決まった。ある夜源三がお浪の家へ行くと、部屋では灯がともり物音がするので、「お浪っ」とよぶと黒い大きな蛇がかま首をもたげてとびだした。驚いた源三は夢中で家へ帰った。その日から雨が降りだし、お浪の姿が消えた。何日かたって源三の枕元へお浪がきて「あなたが恋しい気持ちは変わらないが私はあの山に住む竜の子どもを七つも産んでしまいました。前のお浪の姿では会えません。あなたとの睦まじい所を竜に見られて、やきもちを焼かれ私は奪われてしまったのです」といって姿は消えた。そんなことがあってから柿野の付近はかわいらしい白い花が咲くようになった。そしてこの花をお浪草とよぶようになった。」と書かれています。
お浪が言った「あの山」というのは、いったいどこなのでしょうかね?
アニメでは「西洞のミツボリ山」となっていますが、このように具体的に地名が書かれた文献は存在するのでしょうか?
これからもこの昔話のことは意に留めて、出典探しをしてみたいと思っています。
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