臼のほぞ古墳(うすのほぞこふん)(三湖台古墳群) 小松市串町字臼の臍1番地
大本教の公園になっている。「牛のほぞ」といわれていたこともあった。
月津台地の一番高いところに築かれている。
5世紀後半の築造とみるか6世紀の築造とみるか特定できていない。
月津台地では、5世紀後半の御幸塚古墳を最初に、6世紀代に爆発的に古墳群が誕生した。
総数は100基を超えると考えられていて、臼のほぞ古墳は、その中で最大の古墳と考えられている。
全長52mの前方後円墳 古墳の周囲を取り巻く周溝が、現在も確認できる。
くびれ部登り口の通路と、後円部頂上の四角い高まりは、後世に盛ったもの。前方部を削って、後円部の四角い高まりを作ったと思われる。もとは、前方部が後円部に近い高さだったと推定されている前方部の発達は後期古墳の特徴。
臼のほぞ古墳の北側は崖になって、工場があるが、そこは額見町遺跡だ。
オンドルをもつ渡来系集落として全国に知られている。額見町遺跡とは産業団地建設にともない約38000㎡が発掘調査され、竪穴住居119基、掘立柱建物330基などが確認された。集落の始まりは7世紀初めで、以後12世紀まで長きにわたって営まれた。額見遺跡で注目すべきは、竪穴住居に設けられた特殊な構造をもつカマド。これはカマドの煙道を住居の壁に沿ってL字形に取り付けたもので、煙道を伝わる熱で住居内を暖めようとした施設と考えられている。中国東北部や朝鮮半島北部の竪穴住居に見られる「オンドル」と呼ばれる床暖房施設によく似ている。額見町遺跡の竪穴住居では23基でこの施設が見られ、いずれも7世紀代につくられたものである。同様の施設は、北部九州や近畿に分布していて、北陸では、月津台地の額見遺跡、矢田野遺跡、薬師遺跡に集中して存在する。
周辺が土取りをされていく中で、臼のほぞ古墳は現在の所有者の宗教法人大本教が、古墳の存在を認識して、この場所を聖地としたため奇跡的に残った古墳といえる。臼のほぞ古墳は、大本教の施設の敷地内にあるので、許可をもらってから見学してほしいとのことである。
http://mj-ktmr2.digi2.jp/p17kg/pkg17203usuhozo.htm