額見村は「額田郷」と律令の時代より呼ばれていた。
「気多御子神社 尚。当地は額田の郷と称されていたが永正・永禄(室町中期)の頃額田の庄と改められその後何時しか額見と称せられた。
又集落も神社北東側の串境まであり150戸余りの大集落であったが安政4年(江戸末期)の大火で村民は離散し15戸程度となり、その後一世紀余の間に文化、経済共に発展し恵まれた住みよい環境で新しい町として繁栄の途をたどっている。
宮司 藤峰雅行 」とある。
八田郷は額田郷の南辺りのようです。
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加賀国 江沼郡 八田郷
現在の小松市矢田町・矢田野町・矢田新町が遺称地とされ(地理志稿・江沼志稿・加賀志徴・日本地理志料)、異論はない。郷域は、矢田町・矢田野町・矢田新町が位置する三湖台とその周辺の低湿平地と推定され、郷域内に三湖台遺跡が知られる。(p904)
http://mille-vill.org/%E6%B1%9F%E6%B2%BC%E9%83%A1%E5%85%AB%E7%94%B0%E9%83%B7(%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E7%9C%8C)