気多御子神社
社守には加賀藩士滝川玄蕃左門氏およびその子孫が御奉仕されていた。
広大な社叢はキタノモリあるいは神ケ森(じんがもり)ともよばれてきた。
境内には古来雑草が生じないとされている。伝承によれば、延宝年間(1673~81)に瀧川家四代の社守六兵衛が淵に入つて禊をしていた時、淵に棲む大亀が襲ったので捕えて殺そうとした。この時大亀が末代に至るまで境内の草を取つて生ぜしめないと誓約したので放免した。それより境内には一草も生じないのだという。
http://www.geocities.jp/engisiki/kaga/bun/kag320110-01.html↑
社守 四代 「瀧川 六兵衛」
お名前のようです。