Re: 二十原の椿

二十原の椿 についてのコメント&レビュー投稿
病の為、二十歳で死んでしまった若い娘(分限者の娘? 権力者の娘だったのは覚えています)が「自分が死んだら(自分が好きだった)椿の根元に埋めて下さい。そこに咲いた花で難病...…全文を見る

Re: 二十原の椿

投稿者:Perenna 投稿日時 2019/2/5 23:11
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「島根県口碑伝説集」(昭和2年)という本にも、小那姫の伝説が掲載されています。(コマ番号63/199)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1465126/58?tocOpened=1

「痛ましい小那姫
能義郡広瀬町南端、大渡橋より五六丁下、田原と称する地に、二十原堤神社を祭る。祭神小那姫は、富田荘月山に居城せる出雲守護職、帯刀吉晴の次女であつた。天資聡明で美しく、父の寵愛非常に深かつたが十六歳の時俄に赤瘡といふ病気に罹つた。乳母山崎きん(今の社掌山崎操氏の先祖と云ふ)といふもの、日夜姫の側を離れず、看護して居たが病は益重るばかりであつた。姫は花の盛りも漸く終る、二十歳となつた。ある初夏の夜「五年の長い間一日として美しく暮したこともなく、病は益重るばかり、いつそ死んでしまいたい」と乳母に語つた。斯して或暴風雨の夜、乳母と共に居間を抜け出でゝ、大堤に身を投じた其時堤上の椿樹の枝を手折り「此枝が再び芽を出したら女の病は必ず治してやる」と云つた。果して椿の枝は発芽して今尚社側に茂つて居る。そして年々花を咲き、実を結ぶが、決して花々が落ちない、其実は決して割れ無いのは不思議とされて居る。村人死を悼んで小祠を建て之を祭る。年々参詣の男女頗る多い乳母の子孫、此地に留まり、祭祀を怠らず、姫が投身の堤は、今は田畑となり、奥の院の堤は、後に村人が灌漑のために作つたものであると。」

小那姫を祭る廿原堤神社は、現在の島根県安来市広瀬町菅原2017番地にあるそうです。
現在でも乳母の子孫の方が神社を守っていらっしゃるのでしょうか?
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