嫁っ田
百姓の作蔵さの田んぼはたいへん広く、一丁余りありました。働き者でがんこなおかみさんと、息子の千代蔵との三人暮しでありました。千代蔵は両親とちがい心のやさしいよい息子でした。
作蔵夫婦は、毎朝陽の昇らないうちに畑に出て働く大そう働き者でした。
或る時、鴨方の親類から法事に来てほしいと言伝がありましたが、田植えで忙しいため母がことわろうとしましたが、千代蔵が母をいさめ、自分が行くことにしました。
千代蔵は父の紋付の羽織を着て鴨方の法事に出かけ、塩井川原をすぎ、一里山で一服し鴨方に来ました。
はじめて来たところなので、ちょうど畑で麦刈りをやっている親子に叔父の家をたずねました。
「あゝそれならいの一本杉の下の家だんね。」
と教えてくれた娘の顔を見ておどろきました。何ときりょうがいい娘なんだろう。千代蔵は一目ぼれしてしまいました。
それから毎日千代蔵は鴨方にいくと言っては出かけていきました。そわそわして毎日楽しそうなことに母が気付いて、
「いい娘でもみつけたのかえ。」
ときくと、
「嫁にしたいと思ってる。鴨方の丈助さんとこのおみっちゃんだ。」
そういって千代蔵は、母に嫁をもらう許しを請いましたが、母はそれに条件をつけました。
「一日で家の前の一丁田を植えたら、嫁にしてやる。」
と言うのです。
千代蔵は悩んだ末、おみつにそのことを話すと、おみつは笑顔でやってみるとこたえました。
おみつは、そんなむりな話はきいたこともなく、途方にくれましたが、神に仏に祈りながら次の日、宮村にやって来ました。
まだ夜があけきらないうちから田植えを始め、後もふりむかず、汗もふかず、たゞ黙々として植えつゞけました。
やっと植えあがった時には、おみつは疲れはてていました。田の畦にある大きないしにしがみついて、しばらく息をととのえました。
後に、このこしかけた石を縁定め石というようになりました。 嫁っ田
それから十日後、美しい嫁が千代蔵の家に来ました。もちろんおみつです。
やさしい嫁と息子はよく働き、嫁の美しい心が姑につたわり、がんこな姑も心を入れ替えましたので、しあわせに暮らしたということです。
鴨方とは伊達方と原子の隣りです。畦の石は二子石とも言い、浄水井(井戸)の近くに今でもぽつんとおかれています。
●参項文献 掛川歴史教室『掛川の昔ばなし』
http://www.ochakaido.com/rekisi/mukashi/mukashi5.htm