江戸道(所沢街道)
現在、所沢街道と呼ばれている街道の所沢市内の旧道部分である。
所沢街道は東京都西東京市の北原交差点で青梅街道から分岐し、
東村山市を抜けて所沢に至る道である。
志木街道と交差する「秋津町3丁目」の交差点の脇に旧道の入口がある。
「秋津」という地名は所沢市と東村山市の両方にある。
およそ、柳瀬川をはさんで北側が北秋津村(所沢市)、
南側が南秋津村(東村山市)である。
北秋津村の江戸道については以下のような記述がある。
『「新編武蔵風土記稿」
巻之百五十七 入間郡之二
北秋津村
南秋津村は多摩郡に属せり、…
東は上安松村、南は則南秋津村にて柳瀬川を界とす、
西は久米村にて、北は所澤村なり、
皆畑の地村内に一條の道あり、南秋津村より入所澤村へ達す、
是江戸より秩父への往還の路なり、』
地図では江戸道(赤線)が日月神社を避けるように左に屈曲し、
緑色※の道と共通する部分。
※=鎌倉街道羽根倉道分岐点
長久寺山門付近が分岐点としておおよその位置になるのではないだろうか。
地図上では、長久寺から東へ延びる緑色の道がそれにあたる。
所沢市史地誌付図の<久米道>であり<引又道>である。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~tenbou/OldLoad/edomiti.htm鎌倉街道(羽根倉道)
所沢市は鎌倉街道の上道が市域を南北に縦貫している。
この上道と、東北方面を目指す中道とを結ぶ道がある。
所沢-志木-与野-大宮-上尾-蓮田を経て加須市方面へ向かう道である。
荒川を渡る場所は羽禰蔵(はねくら)になる。
以下は、「所沢市史上巻」からの引用である。
「久米付近で鎌倉街道上道の本道から東北へ分かれて、柳瀬川に沿って北岸を
北秋津から上安松の石地蔵を経て城に至る街道」
江戸道をわたり、北秋津から東に入ると柳瀬川北岸の段丘面が近づいてくる。
ここから柳瀬の城地区にいたるまで、柳瀬川が段丘面を削り
時には淵をつくり、時には崖を作りながら東に流れていく。
「新編武蔵風土記稿」の北秋津村の項には、曼荼羅淵(河童の伝説がある)の
記述があり、段丘と川との関係がから推し測られる。
道はこの川と段丘との間を続いていく。
『「新編武蔵風土記稿」
巻之百五十七 入間郡之二
北秋津村 柳瀬川
多摩郡の界を流、川の中央を郡界とす、久米村の方より来り、
流末は安松村の方に至る、幅十間許、砂利川なり、
この川持明地院境内曼荼羅堂の背後の淵、至て深し
巻之百五十七 入間郡之二
持明院 阿弥陀堂
或は曼荼羅堂と号す、弥陀は立像にて長三尺余、弘法大師の作なりと云う、
當寺の前に當れる崖下を柳瀬川流る、その淵至てふかし、』
http://www5c.biglobe.ne.jp/~tenbou/OldLoad/hongou.htm↑
北秋津日月神社前を、二本の古道が通っていたことがわかる。